下咽頭癌・食道癌患者(男性)の体験談 2013.12.15

(この患者さんは、下咽頭がんで声帯を失っています。

そこでゼルボックス〈電動式人工喉頭〉を使って、自ら

の体験を紹介して頂きました。)

 

今日は私の病気(下咽頭がん食道がん)についてお話します。

10年前のことで良く思い出せませんので、スライドを使って簡単に紹介させてもらいます。

私は1939(S14)大阪生まれです。癌になったのは平成15年です。

平成15年3月中旬頃沖縄に旅行に行って、海水を少し飲み、喉に違和感を覚えた事がありました。

その6ヵ月後の9月にガラガラ声になって下咽頭がんの告知を受けました。1210日左のリンパ節郭清、1223日に下咽頭がんの手術を受けました。

 翌年の平成162月に喉摘者の会に入会し、この電気発声法を習いました。

 ところが3年後の平成18年に食道癌になりまして、現在の平成25年に至っております。

 下咽頭がんから現在まで、10年ほど経過していますので、一応のがんの不安から開放された時かなと思い、本日の体験発表をさせていただくことに致しました。

写真1
写真1

写真1

  平成154月17日に沖縄に海水浴に行きました。

まだ喉は切っていません。(笑い)

海水を少し飲み、喉に違和感を覚えました。

写真2
写真2

 写真2

これも同じ沖縄のカジュマルという木の前で取った写真でが、喉にまだ孔が開いておりません。

 その後、平成15年の9月中ごろ朝起きたときからガラガラ声になっておりまして、何か声変わりしたのかなと思いました。(笑い)

 大人になってから、声変わりってあるのかなと思いながら、近所の内科医で風薬を飲んでいました。それでもガラガラが治りませんでした。おかしいと思って、駅前に「昌子」という耳鼻科の看板があったのを思い出して、女医さんだと思って、冷やかしのつもりでこのガラガラ声を診てもらおうと、飛び込みで入りました。

ところが女医さんでなくて若い男前の先生で、鼻から管を突っ込んで喉を見た瞬間に「大きな病院を紹介しますから、すぐに行って下さい。大阪日赤病院か八尾市立病院かどちらがいいですか?」ということで、私は八尾市立病院を選んで紹介してもらいました。

その時のモニター画像には、喉に痰がブツブツと泡が吹いたような物がモニターに映っていました。

それが私のがん、下咽頭がんでした。

写真3
写真3

写真3

 赤の部分が下咽頭癌です。

市民病院に行くと、診察と検査を受けまして「あなたは下喉頭癌です。今すぐに手術を受ければ100%治すことが出来ます。ただ声帯も一緒に切ってしまいますので、声はなくなりますけれど・・」という診断でした。

私は下咽頭がん、「がん」と聞いて、びっくりしました。癌=死ぬということが頭にありましたので、非常に不安でした。

今まで何もして来なかったけれど、このまま死ぬのかと思いました。それからは不安の毎日でした。でもやっぱり生きようとする欲があるのか、何とかこの声帯を残してがんを取ってくれる病院はないだろうかと、セカンドオピニオンや重粒子線治療などインターネットで探したりしましたけれども、結局は「手術をしたら100%治す」という八尾市民病院で手術を受けることにしました。

 最初にがんがリンパ節に転移していましたので、まずリンパ節郭清を行ってもらいました。これは簡単な手術だったので3日間程の入院で終わりました。

写真4
写真4

写真4

 そのあと下咽頭がん手術まで10日間ほどありましたので、声のある今のうちにどこか旅行しぃようと思い立って、明石大橋に行きました。(会場から:「何で裸なの?」「温泉に入っていた」笑い)淡路島の岩屋というところに温泉宿がありまして、明石大橋を眺めながら、温泉に入った時の写真です。

●(会場から:「いい写真を取ってもらいましたね。記念写真ですよ。」)

これは他人に取ってもらったものです。そして年末の1219日に下咽頭がんの手術を受けました。このときは、手術と放射線と抗がん剤の3種の治療を受けました。えらくしんどかったです。

●(会場から:「やはり抗がん剤がしんどい?」)

 はい。放射線もしんどかったです。 

写真5
写真5

写真5

 これは八尾市民病院です。大阪府下の自治体病院の中では一番古い病院で、汚らしい病院でした。 年末に手術をしましたので(会場から:「元旦の写真ですね」)・・・病院で1月1日(元旦)を迎えました。

早起きして、生駒の初日の出を撮りました。あまりきれいな写真ではないけど、私にとっては新しい年(人生)の始まりでした

写真6
写真6

写真6

 これは1月7日の日です。コンパクトデジカメで、自分に向けて、撮った写真です。ここ喉の周りは赤く腫れていますけど、このように孔が開いているのです。これは喉頭を取った跡です。下咽頭とその周りの声帯とその前にある喉仏も取っています。この両脇に甲状腺があるのですけれど、甲状腺も放射線で潰れました。今でも甲状腺ホルモン剤を毎日飲んでいます。

術後、声を無くしましたので、家内と会話は筆談でした。コミュニケーションし易い様にと「喉摘者の会」に2月に入会して食道発声練習をしましたが出来ず。この電気発声を習得しました。

●(会場から:「会の名前は?」)阪喉会です。

 大阪には喉摘者の為の発声練習教室が5か所あります。

 一番大きな教室が阪喉会で、阪大系病院で手術された患者さんが主に来られます。次に大きいのが「道声会」で、大阪日赤病院で手術された患者さんが多いです。私は今「道声会」で練習をしています。大阪日赤病院地下に教室があり、食道発声と電気発声と笛発声の3種類を一つの教室で合同練習しています。

<注:要約>

     阪喉会…大阪で一番大きな喉摘者の会で、阪大病院系

  の患者の方が多いです。

  食道発声教室(月・水・金)1会員50名ほど出席、

  電気発声教室(火)1日に15名ほど出席

  教室は(地下鉄)住江公園の護国神社内にある。

     道声会…大阪日赤病院の患者が主で、1日に会員15

  ほど参加。食道・電気・笛 合同の練習教室(月・水)

  教室は病院地下にあります。

 

●(会場から:「マスターするのに、どれくらいかかりますか?」)

 私の電気発声は1週間ぐらいで出来ました。手術の具合、口腔の状態によって個人差があるようです。

●(会場から:「それでも1カ月くらいで何とかなりますか?」)

 代替音声習得に6ヵ月を目途に練習をします。まず食道発声練習を6ヵ月、出来なければ次に電気発声を6ヵ月、出来なければ笛式を6ヵ月と6ヵ月練習を目途に訓練法を変えて音声を習得するように指導されています。

 電気発声は手術の状態、口腔の状態によって、出来ばえはまちまちです。1ヶ月で出来れば早い方です。口腔の状態が元のまま正常なら1ヶ月で習得できると思います。

●(会場から:「あとシャント音声というのがあるが、どうなのか?」)

 気管と食道に連絡孔を開けて、指で気管孔を閉めて、吸気を食道に送り込んで発声する方法です。神戸大と関西医大で手術を行っています。気管と食道が繋がっているので誤嚥で肺炎になる可能性があります。そこが問題ですね。

●(会場から:「政治家の与謝野肇がTVで見ていたら、喉を押さえながらしゃべっていましたね。」)

 喉を押さえながら喋るということは、シャント発声だと思います。気管孔を押さえて空気を食道の方に 送り込むために指で喉を押さえるのです。その空気が喉で破裂して音声に変えられるのです。

写真7
写真7

写真7

 下咽頭がんの手術後、また元気になりましたので、また旅行をしました。これ利尻島です。北海道の一番てっぺんの利尻島です。

 これは礼文島を一周して、向かいの利尻島を撮ったのです。 (会場に感動の声)

写真8
写真8

写真8

 この時に礼文島から稚内へ船が連絡しているのですけれど、ハイキング途中に前日泊った礼文島ホテルに初めて電話したのですよ。「自分が預けた荷物を港まで持って来てくれませんか?」と、その電話が相手に通じたのですよ。

(会場から拍手)「やったあー」と喜びました。

●(会場から:「手術して何か月くらいの時ですか?」)

  1年くらいです。

●(会場から:「「喉にカーテンしているでしょ!不便なことって何ですか?」)

 これはホコリが入らないようにしているだけです。不便はありません。

●(「お風呂に入るときは、どうしているのですか?」)

 孔が開いているので、ここ(胸)のところまでしか浸かれない。半身浴です。頭も下向いて(かがんで)洗えますよ。孔から水が入ったら飛び上がるほど痛いです。

お風呂に入るときも慣れるまで、最初の間は怖かったです。海水浴はもうできません!・・・

写真9
写真9

写真9

 そのあと、下咽頭がんから3年後に食道癌になったんです。それも耳鼻科で食事の通りが悪いなら、ちょっと覗いてみようかという事で、内視鏡で食道を見てもらいました。

 この図は何度も見られていると思いますが、食道は25センチ長さがあって、上部と中部と下部に分けられています。私はど真ん中に癌が出来まして、2センチくらいの大きさでした。

 ここの成人病センターの消化器外科の先生に「放射線治療か手術か、手術は下咽頭がん手術で喉が短くなっているので、胃釣りは出来ない。腸を切って、食道を全部取って入れ替える12時間の移植手術です。」と言われました。「どちらにしますか?どちらも生存率は50%です。」と云われるのです。 そうしたら放射線の方が楽だと思って、放射線治療にしました。

 ところが放射線は、副作用が後からどんどん出て来て、もう辛かったです。30回くらい当てたのですが、最後の残り1週間になって「先生頼むから、1週間ほどの休薬期間をください」とお願いしました。「いいや、吉田さんは元気そうだから・・・続けましょう」というので、とうとう最後まで続きました。お陰様で何とか食道癌が消えました。 

 以上で、私の下咽頭・食道癌の発表は終わります。

●(会場から:「今は食べれるのですか?」)

 食べられます。今出来ないのは、臭いが無いのと、甲状腺がありません。味覚は回復しています。  焼肉の匂い、すき焼きの匂いなど、美味しい匂いがあっても分かりません。

●(会場から:「抗がん剤と放射線治療の後に、抗がん剤はやってますか?」)

 抗がん剤は飲んでいません。放射線治療と一緒に抗がん剤を点滴で受けました。

●(会場から:「下咽頭がんとか食道がんについて、自分で思い当たることはありませんか?」)

 酒とタバコが原因だと思っています。お酒は医師から「あなたは一生飲めるだけ飲んだから・・・」と。

 断酒5年目、次いでタバコも5年止め、合計10年目にこれ(下咽頭癌)になったのです。

 酒もタバコも止めたのに、なぜ今頃がんか? と思いました。

●(会場から:「どんな食生活をしているのですか?」)
 今はもう普通食です。ただ喉が通りにくいので、ご飯は味噌汁をかけて食べやすいようにしています。家族と一緒に食事する時、家族は5分くらいで食べ終わってしまうのですが、私は30分以上かかります。 それで家族と外食すると焦るんです。早く食べないといけないと思って・・ 焦って食べると味がわかりません。それで外食は嫌いになりました。美味しいものを食べに行くといっても外食だから余り気が進まなく、家でゆっくり食べた方が良くなりました。

●(会場から:「頑張っている元は何ですか?たとえば孫のためとか、何何のためとか・・何のためにそれだけ頑張っているのですか?」)

 自分のためです。自分は山登りとカメラが趣味。特にカメラを持て歩くことが多くなって来ました。

 他人のためでもあり、自分のためでもある、と思います。

●(会場から:主人(舌癌他の経験者)が食道癌になり先日退院したところですが、先生から、「頭頸部がんの人は、酒タバコの如何に拘わらず、食道がんにかかる率が普通の人の25倍高いと言われました」という話がありまいた。)

 私は下咽頭がんから始まって食道癌になりました。それで段々下がってくると胃です。それで半年に1回胃の検査(胃カメラ)を5年間受けましが、今のところ胃は大丈夫です。

●(会場から:「うちの場合は、胃がんをやったので、上に上にと移って来ました。」)