舌癌と中咽頭がんの入院記録と後日談
今,振り返れば本年2月26日自宅に,早朝チャイムが鳴る。宅配にしては早いが・・・???
それは,以前にアルバイト(チラシ配り)をお願いしていた元JコムのK氏でした。朝ドラNHK「あさがきた」の脇役に時々出ている人がそこに!!
用件を聞きますと 仏様(???)に線香をあげに来られたとのこと・・・・
「4年前に私が亡くなった事を耳にしましたから」と・・・本当に「びっくりポン」でした。
退院した当時の私が異常な顔付で,生命力の無い雰囲気でいたのか?
私に接した人はそう思っていたのでしょう。
自分では気づかないけれど,第三者から見たら,ほとんどの人に「ダメだ」と思われていたみたいでした!
病気になった一番の原因は?
歯科に貼ってあった「8020」のポスターでした。
“80歳に自分の歯20本” との意味。 スローガンが目に止まり,虫歯では無い状態でしたが,点検の為に歯科へ・・・
看護師の女性が歯の清掃等を行い,その時に仕上がりがうまくいかなくて,ザラザラ・・・舌にストレスを与えて,赤くなり大変痛くなってきました。
先生は舌にレーザー光線を照射しましたが,だんだん固くなり白くなってきました。舌に2~3回レーザーを実施しましたが,益々固くなり大きくなってきました。(白斑症の疑い)
平成16年7月 Y病院 口腔外科(H先生)宛てに紹介状を書いてもらいました。最終的に平成20年6月に生検(切除して組織を採取)を実施しました。病理検査結果は境界線でした。
平成20年7月11日に舌の部分切除手術を受けました。扁平上皮がんでした。経過の方は良好でした。でも5年ほどしたら狂牛病が発症するかも?と心配。というのは,舌の切除部に牛肉使用したバイオ肉を挿入したとの説明あったからです。
その後は定期的な経過観察を毎月1回程度で,CTは年2回,MRIは年1回,PETは年1回を実施しました。
平成24年6月に経過観察中に口腔外科⇒耳鼻咽喉科にてカメラ検査を実施したところ,Y病院では手術が不可能だからN病院に紹介状を書くからということで,N病院耳鼻科のS先生を紹介され,即入院となりました。レベルⅣで進行性だとの話。それで平成24年7月に中咽頭がんの手術を実施しました。
がんは直ぐには死なないから良しとして,ネット等で資料収集もせずに専門医に任せる事にしました。手術台に乗せられ,全身麻酔で5~6時間のことでした。気づいた時には病室での生活がスタートしていました。
病室でのこと
10日目位から口の中の乾きが始まり,それが止まらない!
体がだるく,気分がすぐれず,食欲も出ず,体重は減るばかり!
半月ほどで体重が73Kg⇒60Kgに大幅に減りました。健康体重は60Kg以下といわれていたので,最初のうちはダイエットが出来たと喜んでいましたが,50Kgを切り,48Kgになった時は,体力は無く気力も無く,副作用が強すぎました。
最初の説明では簡単に話されていたので,まさかこんなにひどいことになるとは思いませんでした。現状は55Kgまで回復していますが,お尻の肉が減ってしまい,座ると痛い!腕が細くなり,時計のバンドもスーツのサイズも全部ダメになりました。
9月末頃にATMで現金を出した時に紙幣の枚数がカウント出来ない事に気付きました。指紋が無くなってツルツルになっていたからです。でも頭の髪は少し減ったけれど,目立っては減ってない?(らしい。)
9月中旬から,リンパ液のもれが目立って多くなりました。抗生物質を入れて処置をしたけれど,首がパンパンになりました。ドレインを付けていましたがうまく行きません。寝ている時は特に難儀しました。
放射線治療のこと
無音室で体が固定されて,頭部がボルト止めされています。バネでかなり強く締めるから,非常に圧拍感が強く,不安になりました。時間は5分ほどですが,とにかく準備時間が長い。治療後は顔面にボンレスハム状の網状の模様が出来ていました。
放射線治療中に落雷があって,瞬間的に全館が停電したことがありました。すぐにリカバリーが出来ず,メーカーを呼んで修理点検するため為に中止に!長時間の修復の為不安になりました。
放射線治療中に歯の治療が必要との事でN病院内の歯科にて抜歯をしてもらいました。入院前に金歯はPET検査で反射するからと言うので,セラミック樹脂等に変更することになりました。保険適用外でした。その部分が悪いため抜歯をするにも非常に硬いので,ダイヤモンドカッターを使ったのですが,3本破損しました。
PET検査のこと
PET検査時に,金属を使用した義歯は反射する為に正確なデーターが確保出来ないということでした。セラミックやプラスチック等が良いとの事でした。入院前に歯の治療を実施しましたが,セラミックを使用した歯を抜歯する時には,ダイヤモンドカッターを3本破損するほど大変硬いものでした!!
帯状疱疹のこと
水疱瘡状の発疹が出来て,背中がかゆく,ぼりぼり・・・放置していたら激しい痛みに苦しめられました。
身体の状況のこと
口腔やのどの炎症により乾燥感があり,口腔内に痛みが出ました。
唾液が分泌低下し,炎症により声がれ,味覚障害が出て,しかもしゃべりにくい上に,食事が普通に出来ない!
体重の減少のこと
元の体重75Kg⇒48Kg⇒57Kg(H28年4月現在)と変化。
最初のうちは自然にダイエットが出来たと喜んでいましたが,50Kgを切ってからは,体がふらつき,気力は無く,働く事がいやになって,歩く速度ものろのろで,自動改札で切符を入れて出るまでにクローズされることもありました。踏切で自転車を走行中に倒れたりして,難儀しました。
現在使用中のアイテム(器具)や薬について
① 首の保温ホルダ-:桐灰製マフラー新型タイプ
② 香川県(白鳥製)ジェット歯ブラシ(パナソニック製)
③ BSフアイン使用サポーター等
④ 羊水塩 ミネラル調整塩(風呂に使用)
⑤ マグネット磁力電位発生器
⑥ アズノール軟膏(口の中にぬる)病院でもらう
⑦ うがい薬 (AZ含む嗽用配合) 病院にもらう
⑧ スーパークリッシュ(乳酸菌)グリナー(睡眠アミノ酸)
⑨ 甲状腺 ホルモン補強薬(チラージンS錠25mg/50mg)病 院でもらう
⑩ 人口唾液 サリベート(エアゾール)病院でもらう
抗がん剤注射のこと
抗がん剤の注射は医者しか出来ないからとF先生が注射をしてくれるけれど,一回で成功した事はありませんでした。ある日8回もトライしてもダメなので文句を言ったら,先生は真顔で「まだ6回目でした?」と・・・注射の痛さは辛抱できますが,余りにもひどいのでは?と不快に思う。
自分の家族も毎回,「練習するのは止めて欲しい」と注文を付けました。毎日吐き気が2~3回続き,胃の中が空っぽなのにと,泣きながら便器をかかえての日々でした。
プリペラン服用のこと
毎日注射器でリンパ液を45cc程を首からぬく。大変楽になるけど,止まらない!痛み出すとピリナジン0.5mg投与。吐き気止めにプリペラン,ノバミン,便秘対策にマグミット,麻酔薬にオキシコンチンを投与。
入院中の記録
★8月26日
夜間2~3時間程でゲロが・・・痛み止めの副作用で吐き気が出る。
リンパ液もれは放射線治療が終われば止まるのか?と不安でした。
★8月29日
口腔ケアー:コロコロタイプ
リンパ液
食事はスープとおかゆさん:最悪状態
痛み止め:オキノーム2,5mg 1時間有効
薬などのお蔭で,朝おかゆさん完食!
★9月3日
放射線治療で気分が悪くなり,車いすで部屋に帰る。
夕方まで10回以上えずいて,吐き気がする・・・大変苦しい。
★9月6日
パイロットのU教官がお見舞いに来られ,ショックな事を言われる。「飛行機の操縦フライトはダメになるかも」と。
退院の後のこと
一番に高知(竜馬空港)まで一人でフライトに挑戦。でも脚力が弱っている為に操縦席に座れない状況でした。しかし,絶対に操縦するとの思いで真剣に!!無事にフライトを終了。次回のテストに自信が持てた。現在2回目のテストにも合格しました。
先日の八尾空港の事故もあり,皆さんに心配をおかけました。
★9月9日
病院内は,コンサートが1時間30分程と文部省唱歌のコーラスがありました。毎日のことながらリンパ液を55ccぬく。
最後の「抗がん剤」!放射線もあと5回で終了!
頑張れない状態でガンバル!!
★9月11日
抗がん剤・放射線を止めると口内炎も改善されるとの事でした。シャワーした時に出血して,止まらない!タオルは旅館で出しているタオルが使いやすい。高級タオルはダメだ!
口では軽く「健康・健康」と言っているが,健康の大切さを忘れていた。
今後は「ピンピンコロリ」を目標に,「ピンコロ,ピンコロ」と祈りながら過ごした。
★9月13日
最後の放射線治療の日。 ゼロ以下の生活をこの歳になってした事よ!!!
初体験だし,それを知ったことで得をした。
★9月15日
足がむくみ,ゾウさんの足みたいだった。
★9月17日 敬老の日
落語・演歌・クラシック等の入ったCDのプレゼントあり。
★9月20日
紙パンツを使用。下痢気味でトイレ4回。大変な気力が必要!!
紙パンツが普通にはける・・・これは怖いことの始まりかも?と思う。
点滴注射も失敗。針先をグルグル回すと痛い!!右に左にと移動させてもダメだった!最後は針先をグリグリと回して血管を探している。大変痛い!
★9月23日 秋分の日
入院日数が69日目になった。体が寒く,カイロが必要になった。
★9月24日 連休
考えたこと:同好会のこと。
飲水にOS-1(¥200)を使った。水より飲みやすい。
ポカリスエットも同じ感じがした。以後飲水はOS-1に決める。
体の肉も減り,意識も朦朧として,食事もせず,点滴のみで過ごす。
気分がすぐれず,CDや本などで時間をつぶす。
今までなんでもなかった事が見える・感じる・考える・・・何でしょう!!
最後の苦しみが来ているのかもわからない。
以前の経験は役立たない!新しい病気・新しい対処,何でも新しい事は大変なのだ!!
再度,体を鍛え直さなくては・・・経験者の会が必要だと思った。
先輩の声を聞くべきだと?思った。
★9月26日
傷口からリンパ液の液漏れが毎日続く。連続して抗生物質を投与。メスを入れて開口し2~3日で閉じる。
携帯なしの生活が良い老後になった。1日も使用せずに済み,良い傾向だ!
★9月28日
大阪城まで1時間ほど散歩した。
★9月29日
お金を引き出そうとして,ATMを使用したときに気付いた。お札の枚数チエックが出来ない事に!手の指紋が消えてツルツルになっていたのだ!
患者会に参加して良かった事
先輩達の経験談が聞けて参考になった。自分と比較して,変な自信が、出て来た。方向を見失ったりしたとき,励ましの言葉で励まされたり,
変な意味での「がん友」。仲間意識が出来てきた。
すべてを失っても希望はすてない事だ!!
後日談
(後日,周囲の人から聞いた気味悪い体験話)
当社の社員で39歳男性と娘婿45歳の二人の人が同じ時期に病院に見舞いに来てくれた時のことです・・・不思議な体験をしたという話。
「その時は言えなかったが・・・」ということで最近になって聞いた話。
病室のベッドの回りに知らない人が2~3人立っていたと言う。
二人の人が,日にちが違うのに,そういう体験をしたと言う。周囲の人たちの間では,たぶんその部屋が何か憑いていたのか,ということになっていたらしい。
その事を本人には言わずに,それを聞いた娘達が慌てて退院させたらしい。 退院の日も娘の車で帰って,送ってもらった。そのあと娘婿がその日,車の中を片付けようと車の中に入ったら頭が痛くなり,吐き気がしたそうです。彼は別に体調が悪かったわけではないので,病院から「何かが憑いて来た」のかと思ったそうです。念のため車に塩でお清めをした由。
本人にはその時は言ってくれず,最近になって聞きました。
退院した頃の精神状況
退院した時期は,私は覚えてないのですが,気持ちと体のバランスがとれてなくて,何か自分の回りに怒涛のごとくイライラが来襲して来ていました。今までだったら,考えられないような行動をしていたらしい。家族や社員に当たりちらしたり,無理難題を言ったり,高額な物を購入したり,外で食事をしても,食べられないほどの注文をしたり,今になってみるとあの時は目つきが怖かった等々。
今では考えられないし,信じられない事が多々あったと言うことを知らされました。
今でも元の状態に体が戻ったわけではなく,色々辛いこともありますが・・
今,元気に過ごせていられるのは,みんなのお蔭と感謝しています。
失望しないかぎり望みは有ります。
現状は?
現在の朝食は,毎日おかゆさんがメインです。
但しその中身は:
ピータン1/2個
黒ニンニク1片
緑葉サプリ1袋
豆腐1/4片
もずく少々
味噌少量
梅干し
就寝時に準備していること
① マスクの着用
② マグネットの使用
③ 口にジエルをぬる
④ 首にカイロをあてる
⑤ スーパークリッシュ(乳酸菌の錠剤)
以上が入院に至るまでの経緯と,入院中に体験したことです。