中咽頭癌患者(男性)(5)     2019.10.20

がんを克服してトライアスロンに挑戦

 

 滋賀県栗東市から参りました。今年還暦でちょうど60才を迎えました。今日は上手く話せないかもしれませんが、温かく見守ってください。

 患者会には2014年に入会させてもらいましたが、ゆうれい会員で(会費だけは郵送で送っていたと思うのですが)患者会のスタッフの皆さんには近況報告だけはしていて、今こんなことをしていると話しましたら、皆さんに元気を与えられる体験談を出来たら話してくれないかと言われ、今日の発表になりました。発表に先立ち、私の経歴などについて少し話させていただきます。

 35才の時にタバコをやめました。タバコをやめましたら食事が美味しくなり、食べているとブクブク肥ってきて、これはいかんなということで体を動かすことを考えました。私の住んでいる環境も琵琶湖の前で、走るのに最適な場所で、36才の時にジョギングを始めました。丁度マラソンブームで、上岡龍太郎さんや高石ともやさんが始めた「第一回目指せ・・・(聞き取れず)」の頃でした。

 二年目からはフルマラソンに挑戦し、49才の時には、市民マラソンで3時間が目の前に迫るまで自己タイムが出たのですが、残念ながらそこで頭打ちになってしまいました。それならゆっくりのんびり長く走ろう、と気持ちを切り替えました。50才の記念に何かしたいなぁと思っている時に、視聴覚障害の方たちの活動を知り、視覚障害者の方のクラブに入り、絆ロープを持って伴走するお手伝いをしていました。54才の時、琵琶湖から京都までマラソンとランニングを組み合わせて走り、途中コンビニに寄って食事をしたりする競技に参加していました。

 そんなある日帰宅した時に奥歯にご飯粒が挟まったような違和感を覚え、それがなかなか取れないので、ゴールデンウイーク明けに地元のK病院の頭頸部耳鼻科で診てもらいました。先生はとりあえず1週間、薬飲んで様子をみようという診断をされたのですが、1週間後検査したら小さい大豆位になっていて気色悪いから執る事にしました。

 1カ月後手術することになり、手術は全身麻酔で1時間かかりました。手術後、先生、看護師さん、家内も一緒にいるところで、先生は「残念や。悪性や」と言われ、結局そのまま5時間かかり、のどちんこの横をごそっと執りました。中咽頭がんでレベル4ということでした。

 3週間入院して療養し、傷が治ってから抗がん剤治療を考えようということになり退院したのですが、ところが、自宅療養している時にまだ何か違和感があるということで、エコー検査や、念のためPetで精密検査をしたら、先生はあっさり、「これはリンパ郭清しよう」リンパ節郭清と簡単に言われるんですね。なんの事は無い30針縫って2週間入院して、早く抗がん剤治療せなあかんと化学治療と放射線照射をすすめられ、とりあえずセカンドオピニオンで、他の病院で診てもらいましましたが、そこでも同じことを言われましたので、言われる通り、抗がん剤治療と、放射線治療を受けることになりました。

 1週間6クールの抗がん剤治療、予防のためのリニアック25回。放射線の副作用は、唾液障害、味覚障害が有ると先生はさらっと言われる。抗がん剤の方は酒に強い人は大丈夫だと言われました。第1回の抗がん剤治療は、3日目からムカムカして食べ易いザルそばやスパゲッティにしてもらいましたが、口に出来ず、500㎖の水も飲めず、夏場でしたので、水の点滴と抗がん剤治療を1カ月半しました。辛いつらい治療で、10㎏痩せました。

 それで、どうしても退院したくて、無理を言って自宅療養にしましたが、これが地獄の始まりでした。経験のある方はお分かりでしょうが、照射した場所はかさぶたになり、私は歯の治療をせずにリニアックしたので、歯肉炎になってしまい、それは今も続いています。痰は出る、味覚障害で、お汁粉はバリウムを飲んでいるみたいでした。退院してからまた5㎏痩せ、体重は65㎏が、50㎏になりました。

 さすがにこれはあかんと考え、なんとしても太らなあかん、食べなあかんと、食事は家族と同じものを自分で小さく刻んだり、卵の餡かけにしたり、自分で工夫して、時間をかけても3食必ず食べ、おやつも食べようと、これまでの生活習慣を改めました。

 ランニングしている時は糖質を摂らないようにしていましたが。その成果が出たのか、ちょっとずつ体重が増えてきました。食事の一例を言いますと、お粥をたくさん炊いて、少しずつ冷凍にして食事の時に食べるようにしたりしていました。

 もう一つ改善したのは、リンパ郭清で左首の周りがバンバンになり、先生にどうにかならないかと相談をしたのですが、「みんな、そんなもんや」と簡単に言われました。

その病院はチームで対応する医療機関でなかったみたいで、インターネットで調べましたら、乳がんのリンパ浮腫のマッサージはあるんですが、首を触る所はなく、S医大でやってくれそうな感触もあったのですが、「自分の所の患者なら」という事でした。あと一つ電話した所で、栗東から車で1時間程のK病院のがん相談支援センター。ここは、事情を話すと、いい看護師さんで親身になって聞いてくれ「すぐ来て何とかしてあげる」と言われすぐに行きました。 外来で検査して、外来浮腫の治療OKで一、二時間マッサージしてくださいました。チーム医療がきっちりしていて、呂律が回らないと言うと丁寧に治療してくれました。

 その病院では、がん患者の家族の為の「がんセミナー」を2ヶ月に一回やっていました。大きいくくりの癌なのですが、心と体の事、栄養、漢方の話、セラピー、アロマセラピーなどの指導を受けました。

 私とってすごく良かったのはヨガでした。ヨガは優しいのです。がん患者は治療後ずっと暗くなることばかり考え、安静にする事ばかりを気にしていたのですが、ヨガは、音楽にゆっくり呼吸を合わせやる。それが気持ちよくて、安静から奮闘に、自分から内心に目を向け、前向きに考えることができました。

 入院前に会員制のスポーツジムに行っており、そこではヨガやピラティスもあり、体幹を鍛えるのをやっていたのですが、それを受けることで、やっと外に出ようという気持ちになり、先ずウオーキングを始めました。2~3㎞歩けるようになり、小走りに走ってみようかとジョギングとウオーキングをまじえて5㎞。少しずつ自信もついてきたので、自転車でも遠出するようになりました。1年位たった冬には10㎞は走れるようになっていました。以前のように、いきなり走るのでなく15分~20分早歩きしてからでないと走れません。

 マラソンの「ヨーイドン」は無理だなあと思っている時に頭頚部患者会をネットで見つけ、「こんなんあるんや」と思い、「どんぐり会」に参加させてもらいました。2014年のことですから5年前です。参加して驚きました。まさに目から鱗でしたね。皆さん同じような経験をし、同じように悩んでおられるのに頑張っておられるんだと。心が共有出来、一人ではないんだとすごく安心するとともに感謝でした。心が開けたんですね。

「もうフルマラソン出来んわ」と走るのをあきらめかけていたときに、出会ったのがトライアスロンでした。トライアスロンやったら完走出来たらOK。走ることははやっていたから走れる、自転車はこけなかったらいい、問題はスイミングです。平泳ぎは出来るのですが、トライアスロンの泳ぎはクロールです。リンパ郭清で頸部を切って神経切っているから感覚がない。勿論、肩が上がらない。「こんなんで泳げるやろか?」と思いながらも、挑戦してみましたが10㍍も泳いだら疲れて泳げない。息が出来ないから溺れるのです。

 なんとか泳げるようになりたいと、今までいい加減にしていたヨガを頑張れば、何とかなるのではないかと考え、娘が通っている整体の先生の所に行き、相談すると、「もっと早く来たらいいのに、動くようにしてあげる」と。今まで怖くて触らなかった痛い所を痛くないようにマッサージしてくれ、首も大分動くようになり、肩も上がるようになりました。そのお陰で水泳の方もなんとか泳げるようになりました。

 やっと泳げるようになったので、無法ですが、思い切って夏の終わりに予定されているショート・トライアスロンに挑戦してやろうと春にエントリーしました。正式なトライアスロンは、1.5㎞泳ぎ、40㎞自転車、10㎞走るというのがオリンピックなどでやっている主流ですが、

その半分のショート・トライアスロンというのがあるのです。その当時正直500mは泳げていたのです。ウエットスーツを着るし、浮力があるからなんとか出来ると思いました。トライアスロンはみんな一斉にバシャと飛び込みます。イワシの大群みたいなものです。ショート・トライアスロンですからみんな素人です。あっち向いたり、こっち向いたり頭は当たるし足はけられるし、無我夢中で泳いでいると、いつの間にか折り返しにきていて気が付いたらクロールで750m泳いでいました。そのまま自転車もこけずに見事完走したんです。いつも一緒に走る仲間が応援に来てくれていて、「やったら出来るやん」と感銘してくれました。来年はみんな一緒に私たちも走ろうということになり、どうせやるならチームを作ろうと。たった5名ですが一緒にトレーニングを始めました。

 練習をすると大会に出てみたいもので、ショート・トライアスロンの大会を探していましたら、ホノルル・トライアスロンというのがあるとわかり、それに向かって練習を始めたんです。ホノルル・トライアスロンを申し込んで、出発前に自転車を整備しておこうと、家の前でブレーキを確認していたらチェーンが外れて一回転して、頭を打ち脳震盪を起こしてしまいました。幸いヘルメットをしていましたので頭の方は大丈夫でしたが、左手の薬指が反対むいている。「えらいこっちゃ」とそのまま病院に行きレントゲンを撮ったら「折れています」と。ホノルルの大会まで1週間もない。エントリーしているし、ツアーも申し込み、お金も払っている。自転車も明日送る予定にしているこの時期に。と大変でした。

 それでもとりあえず行きました。心配したのは、税関、入国管理。むこうはテロ対策で厳しく、顔認証、指紋認証。顔半分は絆創膏を貼っているし、手には三本包帯しているし、どうなるかと不安でしたが、競技もあるというのでスルーしてもらいました。幸い競技には出ることができました。顔半分の絆創膏ははがしましたが、塩水は全然しみませんでした。素晴らしいロケーションで、外国人がヘイヘイ言って応援してくれるので、調子に乗って見事に完走しました。その年は、二つトライアスロンに出て、あと一つ、審判マーシャルを受けるために講習を受けて、審判資格を取りました。競技の審判も二年程やりました。

 昨年59才。前からあこがれていたアイヒマンという競技に挑戦しました。アイヒマンというのは、トライアスロン発祥のアメリカの軍人が始めたもので3.9㎞泳いで、108㎞自転車、最後はフルマラソンという過酷な競技です。ジャパン・アイヒマンレースというのがありますが、これも2つあって、ハーフは、1、9㎞泳いで、90㎞自転車、ハーフマラソン。トータル113㎞というレースです。これに参加し、頑張って完走しました。1400人中698位。丁度真ん中でした。年齢別では59才ですから、108人中38位、結構いい結果が出ました。昨年は、初アイヒマン完走して、二つトライアスロンに出て、今年も、アイヒマン走ってきました。今年は59才~60才では、人数も少なくて60人中16位でした。6月で終わり、次は9月8日のしまなみ海道のトライアスロンを頑張って、有終の美を飾ろうと思っていたのです。7月は雨が多くあまり練習ができなかったのですが、やっと8月になっていい天気が続き、週末は毎週、泳いで、自転車に乗って、走っていました。

 そんな生活をしていた8月末、ご飯を飲み込んだら、喉が痛いし、食道まで痛い。堪らない痛さにさすがにこれはおかしいと思い、主治医に診てもらうと「これはあかん。緊急入院や!喉頭が腫れてちょっとしか孔が開いていない。何時、呼吸が止まってもおかしくない」と言われ、そのまま入院。点滴してもらっていたのですが、その夜呼吸ができなくなり、パニックになって、ナースコールしました。このまま死ぬかもと思いましたが、幸い針の孔位の息が通ってくれました。「詰まったら気管切開しないとあかんとこやった」と先生。

 1週間入院、抗生剤打って腫れが引き退院し、そのまま自宅療養1週間。計2週間の療養で、すっかり筋力がなくなって、体力が落ち、気持ちも落ち込んでしまいました。なかなかやる気が起こらないのですが、11月にフルマラソンをエントリーしてしまっているので、それに向けてそろそろ練習を始めようかと思っているこの頃です。

 元々、私はへたれで弱い人間なんです。弱い人間だから、楽しいなと思う方なのです。出来る事だけちょっとずつやっていったらいいんじゃないかと考えるようにしています。神経も取り、

味覚も戻らんけど、やったら出来ると、楽しくなる事を見つけてやってきました。トライアスロンって、過酷に見えて、結構、体には優しい競技なんです。泳ぐのは上半身と脚だけ、自転車は前の筋肉だけ、走るのは足裏筋肉という具合に筋肉を分散して使うので終わった後は思っているより楽なんです。真剣にしている人から見たらおかしいかもしれませんが。

 トライアスロンやっていると夢中になれるんです。口の中痛いとか苦しいこと忘れるんです。楽しめる事、喜びを感じてやってやろうと今は考えています。何時まで続けられるかわかりません。今回のような事もあるので無理は出来ません。又、ヨガをやると心が安らかになり、穏やかになるんです。この穏やかな気持ちが続けばいいと思います。

 集中と夢中は言葉として似ていますが、集中は痛かったら出来ないんです。夢中になれる事を探せたらいいと思います。夢中になると少しは元気になります。夢中になれる世界を見つけることができた私は幸せだと思っています。

 今日は私の体験談を聞いて頂き、ありがとうございました。