口腔底がん患者(男性)の体験談(1)  2009.1.18

 私は66歳です。勉強もしないし、TVの医学番組もみない主義です。食品の卸問屋を遣っております。家族は家内の他に息子と娘が居ます。今度の3月で4年になりますが、口腔底がん、これは癌の中でも非常に少ないらしく、成人病センターでも年間10名以下のようです。5年前に右側の歯が悪くて、近くの大きな歯科病院に通っていました。たまたまそこの院長に診てもらいました。歯の奥の方がチクチクと痛むので、「先生、以前に歯の磨き方が悪いと言われていたので、一生懸命歯磨きをしました。それで歯ブラシの柄で突っついたのか時々痛いのです」と言ったら、先生の表情がひょっと変わりました。そして以前のカルテやレントゲン写真をみて、「明日市民病院に行けますか?」と言われて、「午前中は無理ですが、午後ならOK」という話をすると、てっきり市民病院に行くのかと思ったら、そこの病院の口腔歯科でした。診てもらうと「まず癌でしょう」という話で、先生は手術をするつもりのようでした。先生は、抗がん剤を飲んで癌を小さくしてから手術するという話でした。しかし、その科は医師1名、看護師3名のところで設備も小さいし、私は「ちょっと、どうかな」と思いました。

 

たまたま20年来商売の関係でいつも一緒に昼食をしている友人がいまして、その友人のお嬢さん2人が医者をしていました。そこで京大出身の長女の方の方に「どこの医者がいいのか、聞いてくれ」と頼みました。そしたら、成人病センターは阪大系と聞いていたのですが、(長女の方は京大出身にもかかわらず、)「ここの成人病センターが関西では良い」という返事でした。

 

一方、初めの病院の方では、「スタッフを集めようとしたが、うまく集まらないので、ここでは手術は無理なので、市民病院を紹介するから、そちらに行ってください」と言われました。そこで市民病院でなく、成人病センターに紹介してもらうことにしました。そういうことでこちらに来たのが、4年前の3月 2日の事でした。そして9日に手術を受けました。

 

相撲の双子山親方が口腔底がんで、丁度こちらに来る日にTVや新聞のニュースになりました。そのとき先生にその話をしたら「あの人は2年前に口腔底がんになって、放射線治療でどうも完治したと思ったらしいのです。しかしその後再発したみたいです。」という事でした。でもTVの画面では、口の病気なのに土俵に上がるとき、身体を抱えられて上がるような状態だったので、転移していると思いました。

 

手術には17時間かかりました。もともと口の中の2cmの癌なのですが、直径6cm切り取りました。

 

そして腕は以前からしびれなどがあるので、腕ではなく足から肉を切り取って、つなげたのですが、血管がうまくつながらなくて、もう一度別な箇所から切り取って付けました。そのため17時間もかかりました。よく他の人から「大変だったでしょう」と言われるのですが、私は麻酔がかかっているので何も知らなくて、大変だったのは先生と家族だったと思っています。

 

ただ手術後「顔をこうしないでください」と言われ、出来るだけ動かしてはいけないというのでじーとしていたら、最初は良かったのですが段々後部のシビレが来たのと、中々タンが切れないのが大変でした。看護婦さんから「それはN.Aさん、タバコを沢山吸っていたでしょう!タバコを沢山吸っていた人は中々タンが取れないんです。」と言われました。タンに苦しみました。もう一つ、私は睡眠薬を1回も飲んだことがありませんでした。そういうことでタンで眠れないので、睡眠薬をもらったのです。そうしたら睡眠薬で幻覚症状を起こしました。寝ていても天井がふわ~と動くのです。しばらくすると、その画面がTVのように変わるのです。野球やったりゴルフやったり、その時はいいのだけど、右の方に変な外人のような、魔法使いみたいのが出て来て気味が悪いのです。次は壁に筆で書いたような文字がぱぁ~と出て来ました。看護婦さんに「この部屋で自殺した人おりませんか?右翼か何かの人で自殺した人はおりませんか?」と聞いたら「そんな人はおりませんよ」という事でした。

 

これは幻覚だなと思って、これからは(睡眠薬を)絶対飲まないようにしようと思いました。それから退院まで70日かかりました。キズが完全にくっつかないからです。歯と歯茎の間に隙間が出来て、 そこが化膿する状態が続きました。だけど抗生物質を使わずに自然に待つ方がいいのだということで、40日そのまま続けて何もしないでいました。しかしこれではダメだというので、もう一度手術をやってもらいました。ただ麻酔の先生には「麻酔を通すのに苦労しますよ」と、だいぶ脅かされていました。それで2回目の手術の方が心配でした。しかし手術後すぐに、手術室の中で先生に「うまくやって  くれて、ありがとう」と言える状態でした。

 

手術後の話ですが、下顎が腫れて寝ている状態ですから、しゃべりにくいような状態でした。携帯電話など出来ませんでした。私は個室だったので、出来るだけロビーに出てお話できるような人を 見つけて、積極的に声を掛けて、筆談も含めて話をするようにしていました。それとお風呂は他の人と一緒にならないように見計らって、一人で入りました。それはお風呂の中で、大声で歌を歌うようにしたからです。他では中々そうしたことは出来ません。病室の空いたところで、大声を出したり、歌を唄ったり出来る場所があったら、いいのじゃないかなと思います。大声を出したり、唄ったりというのは、自分のリハビリになるのと、憂鬱なことは出来るだけ対話したりして、リラックスした方がいいのでは ないかなと思います。それから退院間じかになると、出来るだけ院内を散歩したりとか、1階から7階までエレベータを使わずに歩くといったことをしました。

 

会社の経理をやっている家内もほとんど毎日来てくれました。それからラッキーだったと思いますが、息子は入院する前の3ヶ月前に全然別な会社から私の会社に入ったのですが、兎に角入院中は会社の話、仕事の話は一切言わないし、聞きもしませんでした。それは色々気遣いをしなくて良いという家族の配慮だったと思います。それから一生忘れないと思いますが、丁度二人目の孫がもうじき生まれるというので、先生に「ちょっと早めに退院させてください」と言って、退院させてもらいました。ただ、膿が止まらない状態がずぅーと続き、止まったのは夏ごろでした。

 

退院後困ったことは、膿が止まらなかった事と食べる事でした。家内が気を遣って食べやすいものを作ってくれましたが、お昼は外食ですので、しばらくは家内と一緒に出かけました。というのは、 注文しても食べられるかどうか分からないからです。注文しても食べられないものが出て、食べられるものを見つけるのに苦労しました。たまたま会社の近くで大きなショッピングセンターのようなものが あって、その中でスタンドのお寿司屋さんがありました。お寿司屋さんなら、シャリを握るときに、色々注文を付けられるのではないかというわけです。それ以来ずぅーと2日に1回くらいはお寿司屋さんで食べています。最近は偏って来て、大抵がうな丼になりました。

 

皆さんの手元にあるのは、2年ほど前に作ったこの患者会への入会を勧めるビラで、「術後の食事内容・・口腔底がんを切って」というところに、私の食べやすかったものを書いてあります。うなぎは「皮をとって」と書いてありますが、今は取らないでも食べられます。全般的に水分の少ないものは 食べにくいです。それから皆さんに共通すると思いますが、唾液量が病気前より少なくなっていると思います。私などはましな方だと思いますが、Kさんなどは始終お水を持っておられますね。私は大丈夫です。ただ結婚後ずぅーと晩酌、しかもビールを続けていました。大ビンで4本飲んでいました。しかし高校時代の先生に2本にせよと言われて、以来2本を守っていました。ビールがないと 食が進まないのです。ところが家内は病後、ビールを止めさせようとして、先生に「アルコールは止めた方が良いでしょうね」と訊ねました。先生は「止めた方がいいですよ」というのですが、もう一人の先生は「たまのお付き合いくらいは、ちょこっとくらいはいいんじゃないですか」と言ってくれました。家に帰って1週間くらいはビールなしで過ごしたのですが、どうもあまり食べたくないのです。

 

それで家内に「ビールを少しくらいは飲ませてくれよ」と言って頼みました。しかし段々量が増えて  3缶くらいまで行ったのですが、また2缶までに減らされてしまいました。今はビール2缶と自宅で 作った梅酒の水割り1杯にしています。

 

夜は、まずご飯は全然食べません。ご飯にカレー等の汁系のものは何とか食べられます。白い ご飯だけではノドに詰まって食べにくい。段々口が詰まりやすくなって来ました。先生に「段々食べにくくなり、一生これでは困るので、何とか方法は無いですか?」と聞いたら、先生は「諦めるしかしょうがないな」という顔でした。

 

退院後、OS大学でインプラントをしてもらいました。私の場合癌の転移も無いということで、放射線や化学療法もやっていません。それで顎もしっかりしているということから、インプラントをしてもらえました。放射線治療や化学療法をしたときは骨が弱くなるのでインプラントは出来ないみたいです。またインプラントすると、口の中の掃除やチェックをします。そのとき、食べにくいのでもっと良い方法はないかということから、口腔歯科の方で診てもらいました。そうしたら先生から、「本当に 上手に手術してもらっていますよ。はっきり言って、これ以上は変えようが無いですよ。」と言われました。これは「自分自身が贅沢をいっているのだな。確かに食べにくいし、気持ち悪いのだけれど、これはもう諦めよう。」と、諦めが付きました。

 

また頸部を切っているので首が回りにくいのですね。ですから車では首を回して見ることが出来ません。腕は最初上がりませんでしたが、1年後には上がるようになりました。ただ持ち上げる力は随分落ちました。15キロくらいなら持ち上がるようには回復しました。

 

最近の食事では、このビラでは「食パンの耳を切って」と書いてありますが、今はそうしないでも 食べられます。また粉末の青汁、豆乳、ミカンやバナナ、ローヤルゼリー、ジュースといったようなものを食べています。お昼はお寿司ですが、今は3皿でお腹が一杯になるのです。体重は入院前に72~73キロでしたが、退院時は68キロ、今は64キロくらいになっています。ちょっとでも肥れないかなというので、夜はケーキなど甘いものを食べるようにしています。

 

私はこの成人病センターに入院させてもらって、本当に良かったと思っています。それと、入院中にM看護婦長さんから、第1回目のこの会に出てみませんかと声をかけてもらって、出させてもらいました。また後で講演されるKさんも本当に素晴らしい看護婦さんで今でも鮮明に覚えています。自分は看護師さんとも仲良くして来たと思っています。それからお医者さんを信頼するということが大事なんじゃないかな、と思います。お医者さんへの不平不満とか、こうしてもらいたいということがあるかも知れません。しかし私は、(お医者さんは)専門家なのですから素人がああやこうや考えるより、余分なことを考えずに「下手な考え、休むに似たり」と、余分なことは考えない方がいいのではないかと考えています。

 

TVでそういう番組があっても見ないというのは、そういうことからです。また本人も大変ですが、  ご家族ももっと大変ではないかな、と思うので出来るだけ心配をかけないように、またご家族も悪い ニュースはおっしゃらないように、また自分の場合は社員に心配させないようにという気持ちが強いです。よく「息子さんが後継者になってよかったですね」と言われるのですが、自分はそうは考えていません。食品の商売も今は大変です。人様に迷惑を掛けないように、この商売も止めた方がいいな、という気持ちがあったのですが、息子が会社に入ったために、もうちょっとしっかりやらないといけ  ないというので、病気前より一層仕事をしています。太らない太らないというのは、食べるエネルギーよりも使うエネルギーの方が多いからです。

 

また出来るだけストレスを貯めないように、やってもらった方が良いのではないかと思います。患者会でも、癌になった原因が話題となりましたが、一番多かった意見はストレスでした。自分自身の  場合は、それよりもタバコと、歯を磨くのにパパパと朝1回磨くだけだった分悪かったようです。口の中の衛生状態とタバコが口腔底がんの原因になったのではないかと思っていますが、私自身は、 ストレスが原因と思っていますので、皆さんもストレスを貯めない方が良いのではないかと思います。

 

それとやはり感謝の気持ち、グチを言わない。感謝の言葉を出す方が、人間関係がうまく行きます。人間関係がうまく行くと、ストレスが溜まる原因を排除できるのではないかなと思います。それから、 出来るだけプラス思考で、マイナスのことは考えないようにしています。

それが私の病気に対する考え方です。ご静聴ありがとう御座いました。