舌・口腔底癌患者(男性)の体験談(4) 2010.3.14

次々と再発するがんとの闘い

 

しゃべりにくいので、内容をお手元の方に配布させてもらいました。舌が全然動かず、顎を動かすだけでしゃべっているので、正しい発音ができません。我慢して聞いてください。

(注:発音が不明瞭のため、すべてを記録できず。)

 

一番最初に発症したのが平成元年です。最初は喉が痛むので、近所のお医者さんにみてもらいましたところ、風邪であろうということで薬をもらっていましたが、3ヶ月経っても変らないので、大阪の病院で診てもらったところ、成人病センターを紹介され、「今日は耳鼻咽喉科のY部長の診察日なので、すぐに行くように」言われました。成人病センターに行くと、色々の検査があり、5月に中咽頭癌でホジャキンリンパ腫ということでした。

それで放射線治療科で治療することになり、まず抗癌剤の点滴を受け、そのあと2回目の点滴を受けた後、放射線治療を24回受けて退院しました。あとは血液内科で抗癌剤の通院点滴が始まりました。8回の点滴の後は軽い抗癌剤の注射となりました。3年目の37回で一応終了になりました。でも「完全」とは言ってもらえませんでした。

点滴で髪の毛が徐々に抜け、すべて抜けてしまいましたが、点滴が終ると胡麻塩頭に黒髪が生えて来ました。点滴では「吐かない。よく食べる」ということをしないと治療を中断することがあると言われ、我慢して頑張りました。それで食事を止めたり、吐いたりということは1度もありませんでした。

放射線で先ず食べ物の味覚がなくなり、喉を通りにくくなり、インスタントラーメンを工夫して食べるなどして体重を維持するのに努めました。

顎の腫れや手先のシビレなどの副作用がありましたが、いずれもなくなるまで我慢しました。

唾液が出ないので、お茶を常備し、虫歯対策としては歯磨きを欠かさずするようにしました。しかし平成5年に大人になってから初めて虫歯になり、O歯科大附属病院を紹介してもらい、以降定期的に受診しています。

鼻から胸まで放射線で背中が日焼け状態みたいになりました。外での紫外線を避けるため日傘を使いました。肩の保護のために重いものも持たないようにしました。今はもう元にもどしていますが・・・

採血などは腕を交互にして、血管の保護に努めました。これは現在も続けております。同じ場所でばかり採血していると、血管が段々なくなって、見えなくなる人が多く発生しているので、・・・(注:発音不明瞭のため記録できず)・・・自分なりに工夫をしています。

そして2回目は平成5年12月に胃癌になり、非ホジキンリンパ腫ということで抗癌剤点滴を4回受けたあと、平成6年3月に入院しました。胃の下3分の2を切除し、結腸後再建の手術をして2週間で退院しました。この時は、春の職場の検診では異常なしという結果をもらっていました。

今回の点滴でも髪の毛が徐々に抜けて、すべて抜けましたが、点滴が終ると胡麻塩頭に黒髪が生えて来ました。点滴中は前回同様「吐かない。よく食べること」をモットーにしました。仕事の関係で食事回数を増やせないため、徐々に多く食べるようにして元以上に戻りました。

傷口などは、(身体を)出来るだけ動かして毛細血管の活動を促す・・・・(注:発音不明瞭のため記録できず)・・・これは現在もやっています。術後3日目からは、(病棟の)12階から地階まで往復の運動を毎日やりました。

3回目は平成12年5月に舌癌(扁平上皮癌)で舌右半分を取り、頸部郭清と左前腕皮弁による再建手術を受けました。血管吻合術後5週間ほどで退院しました。5日間身体にいろいろ器具が付き、身体の固定のため辛いけれど我慢するしかない状態でした。話が出来たのでほーっとしました。しゃべりにくく、飲込みしにくいので、リハビリとチャレンジすることに努力しました。

腕が最初は上がらず、リハビリに努めました。今回も階段の上下往復運動をしました。頸を冷やすと痛いので、夜はタオルを巻きました。

歯科大で歯ブラシを小さいものにすること、歯間ブラシをSとMにするように指導を受けました。

4回目は平成19年1月に口腔底癌(扁平上皮癌)で気管切開術と下顎正中離断による口腔底癌摘出術(舌左半分切除)を受けました。また左頚部郭清、左足遊離組織による舌再建手術、そして血管吻合術を受けて、2ヵ月半後に退院しました。5日間身体にいろいろな器具が付き、身体を固定するために辛いが我慢するしかありませんでした。最近は短くなっているとの話です。

話ができたのでほーっとしました。前回よりも更にしゃべりにくく、飲込みしにくいので、大変だけれどリハビリとチャレンジすることに努力しました。リハビリしたり、今回も階段の往復運動をしようとしましたが、身体がふらつき、血圧が低くなり止めました。

退院後は腹筋運動で調整しました。気管切開中は声が出ず、力が入らないけれど、気管を押さえると、声が出せたり力が入れられたりしました。チューブでの経口食で下痢気味になりましたが、薬の服用で治りました。

 通常の食事になってから、飲込みが更に難しく大変でした。顎の傷口から膿が出だし1ヶ月間経口食に戻りました。食事をするのに、以前と同じくらい食べるには2時間余りかかり、喉に痰が溜まったり、疲れてむせたり、吐いたりするので、1時間半程度で止めるようにしました。

勤務時の昼食はマルハニチロ食品の梅がゆ(熱湯1分間で食べられる食事)で、それに天野実業のお粥を足して、冷ますために缶詰1缶を入れて食べると、昼休み中に終るという状態でした。

顎を開き、歯並びがずれたので、歯科大でワンタフト歯ブラシを使用するように指導を受けました。舌が動かないので、痰がよく溜まるようになり、飲込みしにくい関係で、むせたり、吐いたり、誤嚥が多くなりました。数回吐いて、むせるのが止まらず、救急で診てもらうと、誤嚥性肺炎という診断になりました。また成人病センターでは肺癌の疑いがかかり、半年間いろいろの検査を受けましたが、結果としては肺炎という診断になりました。最近は自分で早めに対処できるようになり、むせたり、吐いたりする程度で収まるようになりました。

5回目は平成21年6月に下顎骨炎のため、顎のプレート除去手術の後、1週間で退院しました。

 

この20年間、成人病センターの医師・看護師・技師と職場・近所の知人・家族などにお世話になり、そのお陰で4回までの治療は3ヶ月未満で職場復帰できました。 

定年にプラス4年した平成21年3月に無事退職し、元気に生活させてもらっています。皆様に感謝しております。

以前のことになりますが、2回目からは持病が癌なので、「申し出てから長い時で半年ほどかかって、病名を告げられて、治療してもらうけれど、本人の申し出前にいろいろな検査で癌が見つからないのですか」とお聞きしたところ、「一般的には本人の症状の申し出が確実で早い」と言われてしまいました。

以上、長い間聞き苦しい話ですが、ありがとうございました。