舌癌患者(女性)の体験談(8)2016.8.21

初期の舌癌から7年後ステージⅣの宣告を受けた私の体験

 

 今から15年前の2001年に、主人を肝臓癌で亡くしました。その後、事業を引き継ぎましたが、主人を亡くしたことや仕事上のストレスから、舌の左側面に白板症ができました。それを見つけてくれたのは、鍼灸の先生に、舌診をして頂いた時でした。「病院で見てもらった方がいいですよ。」と助言を下さいましたが、当時私は、主人の病気をきっかけに自然療法を知り、食事やお手当て法を実践していましたので、気にもかけずすぐに病院には行きませんでした。

  そんなことがあったことも忘れていましたが2006年の春、舌にピリピリとしびれるような軽い痛みを感じましたので、日ごろお世話になっている歯医者さんで見てもらいました。先生は「S病院とN病院のどちらかを紹介しますがどちらにしますか。」と言われました。本来ならS病院を選ぶところですが、S病院は当日の受診できないとのことでしたので、せっかちな私は当日受診できるN病院の紹介状をご用意いただきそのままN病院の口腔外科へ向かいました。それから7年後、この選択が私の最大のミスだったことがわかりました。

  ご紹介いただいたN病院の先生は、患部をみて「心配ないと思うが、細胞診をします。」との事でした。その頃の私は心身ともに疲れていて、台所に立って家事をしていると亡くなった主人がそばで何か言いたげに私を見ているような気配がずっとしていました。また毎晩夜中に目が覚めて眠れなくて、まるで体に鎧でもまとったようなだるさがありました。

 その日もまた夜中に目が覚めたので「体がクタクタで辛いから、もし主人なら背中をさすって。」と心の中で言いました。そうすると背中に暖かい物感じました。また、「私に何かメッセージがあるのならわかるように教えて。」と心の中で言いました。その日の朝は祝日でしたが、病院から電話がありました。 先生からの電話で、「検査結果が出ました。今日は病院に来ることが出来ますか。」とのことでしたので、結果が悪かったのかなと、思いながら病院に行きました。結果は、細胞診の判定が陽性だったとのことでした。

 私は、自然療法で治そうと考えていましたが、子供や兄弟から手術を勧められて押し切れず、日帰り手術を受けました。部分麻酔で先生方の話も聞こえた状態で、舌が思いっきり引っ張りだされているのがわかりました。手術が終わって、痛み止めの投薬を待っている間に麻酔が切れて、引っぱり出された舌の傷みだと思うのですが、すごく舌が痛くなってしゃべれないほどでした。

  それから1週間位経ったころ、また先生から電話を頂きました。切除した患部を検査したら、癌細胞が切断面にあるから、もう一度手術するとのことでした。先に手術で、患部を薄く取ってくれたため、取り切れてなかったようです。またあの痛い思いをするのかと思うと、とても落ち込みました。私は、部分麻酔が切れた後のあの痛さは二度としたくなかったので、全身麻酔で手術していただくようにお願いしました。また、私があまりに疲れているように見えたのか、しばらく休養を兼ねて入院を勧められましたので、その指示に従いました。 無事、全身麻酔で手術を終えました。

 舌は、間違ってちょっと噛んでもすごく痛いので、痛いのは当たり前だと思いますが、手術後1年近くは痛みとしびれ感が続きました。しゃべるのも、食事するのも不自由な状態が長く続きました。 私にとってこの入院手術は、舌に火傷をした程度のことで、生活習慣は変わらず生活は元の生活に戻りました。

  N病院には、定期的に診察には行っていましたが、3年ぐらい経ったころには、診察にも行かなくなりました。 その頃の生活は、毎晩の飲酒、喫煙、不眠、ストレスなどでさんざんな生活習慣を送っていました。不眠で体も疲れ切った状態で、このままでは病気になるのではと思いつつ、その反面、私は大丈夫!という過信もありました。

  初めの手術から6年後の2012年9月に、前回手術したあたりにまたピリピリとした痛みを感じましたので、N病院に予約し診ていただきました。 同じ先生が診て下さって、先生は、ご自分が手術した私の舌の患部を見て何度も「とてもきれいだ。」と自画自賛されました。私は、この先生はナルシストなんだなと思いました。 また細胞診をして下さいましたが、プラスマイナスの判定でした。先生は、「僕は癌だと思う。」と何度も仰いましたが、それ以後も、細胞診と血液検査をする程度でした。血液検査の結果を見て、「僕よりいいですね。」と言われるほどで、私は健康に自信がありましたので、自分が癌を再発しているとは全く思いませんでした。 病院にも行ったり行かなかったりで、痛みがひどくなって予約して診てもらう程度でしたが、毎週診せて下さいと言われ、毎週土曜日に診ていただいていました。患部は少しずつ大きくなり、痛みもひどくなってきて来ました。歯が当たって痛いと先生に訴えても、関係ないと言って処置してくれませんでした。そのうち、喉の奥や耳の奥も痛くなって来て、そう訴えるとやっと先生は、画像検査をしますと仰いました。痛みを感じて診察した日から10ヶ月経った2013年7月の終わり頃でした。 CT検査のあと、PET検査もしました。

 そして、N病院でその検査結果を聞くことなく、画像検査資料と紹介状をもらってO病院で初診予約をして、検査結果を聞きました。 O病院耳鼻科のH先生が担当医になってくださいました。「画像を見ましたら、癌です。ステージⅣです。頸部に2カ所転移がありますので、ステージⅣでも、abc3段階の軽い方のaです。」と教えて下さいました。その時の私は、驚くわけでもなく、泣くわけでもなく、「ステージⅣって末期やったかな?」とぼんやりしていましたら、H先生は優しく、「ステージⅤはありません。ステージⅣが最後です。」と私の心を見抜いたように教えてくれました。O病院で受診するということは、100%癌だと言うことに私は気付いていませんでした。その時、私は、H先生の話を聞きながら、自然療法で頑張ろうと決心していました。 O病院を受診したのは、8月の初め頃の事でした。その日の内に、手術に向けての検査をしました。肺活量や心電図、血液検査など他にも色々しましたが、心臓で引っかかったのは初めての事でしたが、再検査が必要とのことでした。心臓のCT検査の予約が取れなくて、入院手術は、1ヵ月後の9月にすることになりました。

 心臓のCTの結果は問題なく、きれいな心臓ですとの結果でした。 2012年9月に再発の痛みを感じてN病院で再診してから1年が経った2013年9月に手術しました。N病院でもっと早く画像検査をしていたらと悔やまれるのですが、これも私の運命なんだと自分に納得させました。 手術が伸びたこの1か月の間に、私の癌は、どんどん大きくなり小豆粒位の物が舌に付いているようだったのが、大きな梅干し位になって、痛みも激痛になり、食事もできなくなり、舌も動かしづらくしゃべりにくくなっていました。 そのうち患部に割れ目ができて、中から出血したり、血の塊が出てきたりしました。この1か月の時間をもらって自然療法で何とかしたいと頑張っていたので、中から何かが出てくれるのはありがたいと動じることはありませんでした。 手術の前日に入院しました。手術や麻酔の説明、承諾書のサインなどバタバタで一日が終わりました。

  手術は、舌の半分を切除、左足大腿部筋肉で再建、頸部リンパ節郭清の手術で、8時間半かかったそうです。ちなみに後日先生にたずねましたら、検査が順調ですぐに手術をしていたら、舌は1/3切除で再建の必要はなかったそうです。 術後は、回復も早く、早々にトイレは自分で行くようにして出来るだけ歩きました。また術後の患部の痛みは、以前N病院の時のような痛みはありませんでした。しびれ感は少しありましたが、N病院で手術した後は、痛みや違和感が長く続き辛かったのに、今回はとても楽でした。

  術後約1週間は鼻から細い管を通して栄養剤と水のみでしたが、その後好きな物を補給して良いとのことで、私は自然食品店で買えるレトルトパックの玄米を炒って重湯にした「玄米クリーム」を管を通るくらいにお湯で薄めて、飲んでいました。手術から約2週間後に食事が配膳されました。生命力ある命の元のお米や野菜が食べられることがとても嬉しく、口から味わって食べられることに感謝しました。でも、食事を一口、口に入れて愕然としました。舌の上にのせた食べ物が、そこから動かせないことに驚きました。ほとんど舌が動かないので、箸で奥歯の所に食べ物を運び噛んで、唾液が出ないので汁物かお茶と一緒に飲み込みこんでいました。よく噛まなければ飲み込めないので、一口を飲み込むまですごく時間がかかり、一食を1時間半位かけて食べていました。

 鏡はあまり見なかったのですが、手術をした左のフェイスラインは腫れてひどい顔でした。腫れが引くまで1年かかりました。

 入院中は、出来るだけ階段を利用して体を動かすように心がけ、給湯器から熱湯がでますので、バケツで足浴をして血行が良くなるようにしたり、ビワの葉っぱを手術した頸部に当てたり、小豆枕を電子レンジでチンして肝臓腎臓を温めたりと、体を労わることをしてとても元気に過ごしました。

 4週間の入院生活でしたが、放射線治療の話が出なかったので内心喜んでいましたら、退院間際に説明があり、私は受けるかどうかすごく悩みました。体は元気だったので、放射線を受けても、自然療法で何とかなるだろうと思い受けることにしました。もし放射線治療をしないで再発した時に、放射線治療をしていたら良かったと悔やみたくなかったのです。(今では、後遺症が辛いので、放射線治療をしなければ良かったと後悔しています。)

  放射線は、退院後2週間くらい経って通院で受けるようにしました。30回60グレィ受けました。10回目くらいから口内炎が出来て食欲が無くなり、顔も火傷のようになってきて、私は、途中でやめることを考えましたが、兄弟からの猛反対で続けることになりました。

  食欲が無く体調管理に自信が無く、耳鼻科に診察に行った時に看護師さんに、「痩せると予後が悪い。」と言われました。その言葉がすごく気になり入院しながら放射線治療をすることにしました。病院で体調管理してもらえるので、安心して過ごせました。口内炎は、ビワの葉の焼酎漬けのビワエキスがよく効いて、口内炎にスプレーすると、すぐに治りました。看護師さんは、「鼻から管で栄養剤を入れますか。」と勧めて下さいましたが、食事が食べられていましたのでお断りしました。口内炎が治ってもまたすぐに出来ますので、毎日何度もビワエキスを口内炎にスプレーしていました。 今でも、舌のしびれ感は少し残っていますのでビワエキスの原液をスプレーしたり、しみない程度にビワエキスを水で薄めて、それを長く口に含んで吐き出したりしています。口の中がスッキリして、違和感が薄れます。

  退院の日、看護師長さんだと思う方から、「よく頑張りましたね。」とお褒めの言葉をいただきました。他の患者さんは、口内炎の痛みで食事を食べられなかったのかなと思いました。

  退院から、(2016年)来月9月で丸3年になります。やっと3年経ちました。食事、お手当て、心の3点に気を付けて、生活習慣を改めて命を大切に生活しています。 第一に食事は、主食は主に玄米で野菜中心の食事です。玄米を美味しく炊くことが大切です。また、お出しを美味しくとって、野菜、豆腐、海草を入れたお味噌汁と自家製のお漬物が基本で、副菜に野菜の煮物や青菜のお浸しを付けると完璧です。

 私が献立で気を付けているのは、味噌、梅干し、ゴマ、海草、青菜は必ず食べるようにしています。貧血がひどかったときは、青汁を飲んでいました。また体が弱っている時は液体酵素を飲んだり、アルカリ性食品の梅肉エキスを飲むように心がけていました。 癌細胞は、酸性のドロドロの汚れた血液を好むそうですので、砂糖が入った甘い物や、動物性の物を食べた時は、梅肉エキスを必ず飲むようにしています。 バランスよくよく噛んで、腹八分で頂く命(お米、野菜)に感謝して美味しく食べることで、内臓も穏やかですので、疲れません。

 第二にお手当法は、よもぎのもぐさとビワの葉っぱを使ったビワ葉温灸がとても気持ちがよく。もぐさの熱が、皮膚の下10cmまで届きます。ビワの葉っぱは、鎮痛効果がありますので、肝臓腎臓あたりを温灸した後に頸部や口の周りや舌にもビワ葉温灸を当てています。一年目の診察の時、H先生は、私の首あたりを触診して仰いました。「一年でここまで柔らかい人は珍しい。」と。放射線科の先生も、そのカルテを見られて触らせてと触診されました。 突っ張り感やしびれ感、筋肉のこりなどありますが、ビワ温灸をすると和らぎました。 こんにゃく2丁を温めて、肝臓腎臓に湿布をするこんにゃく湿布も気持ちがよく自律神経も活発になり免疫力や自然治癒力もアップすると思います。

  第三に心は、コロコロ変わりますので、いつも平穏でいることは私には難しいことですが、命は天命で生まれ天命で還ります。天にお任せして、人様のお役に立つことを喜んですることを目標に自分のモチベーションをあげるよう心がけています。

 私が、ステージⅣの舌癌を頂いたことは、私の身から出た錆と受け止め、今までの生活を改めて頂いた命を大切に、感謝を忘れず生きていきたいと願います。