がんが持病の患者(男性)の体験談 2015.4.19

(平成元年~平成27年現在まで)

 KM氏は,舌癌で舌を失っている上に,最近喉頭(声帯)を切除したために,自分の声でしゃべることが出来ません。そこで患者会では、本人が作成した体験記を奥様に代読していただきました。
 この体験記は、がんのために27年間で508日の入院を体験した凄まじい闘病記録です。
 なお、当日説明に使われた入院経過一覧表を付表として最後に付けました。[編集者] 

  

☆ 平成元年(1989年) 小生の癌年:中咽頭がん+非ホジキリンパ腫                                                                       
 喉が痛むようになり、近所の診療所で診てもらったところ、風邪であろうとのことで薬を貰っていたが、3ヶ月経っても変わらないので、総合病院で検査してもらったところ、専門病院を紹介、今日は耳鼻咽喉科部長の診察日なので、すぐに行くように言われる。専門病院へ行くと、色んな検査があり、5月に中咽頭がんで非ホジキンリンパ腫、5年生存率は30%とのこと。放射線治療科で治療することになり、抗がん剤点滴をし、その後5月19日入院で2回目の点滴後、放射線治療を24回受けて7月17日退院し、血液内科での通院点滴が始まり、8回の後は、同じのをしていると、再発等で同じ抗がん剤は使えないので、軽い抗がん剤の注射になり3年目37回で一応終了になる。
 治療前の一週間首のこぶが大きくなり、痛みが酷く座って寝る日が続いたが、抗がん剤点滴を受け終わり、会計待ちでソファーに座ると痛みがなくなり寝てしまう。点滴で髪の毛が徐々に抜けて、静かな時はジリジリと髪が切れるのがわかってきて、全て抜けた。点滴が終わると胡麻塩が黒髪で生えてきた。髪の毛が切れるのは、皮膚が収縮して髪の毛を切るためなので、毛根は残っているので、また、生えてくると。この皮膚の収縮するのと同じことが心臓でも起こるので、心臓負担があると。
「点滴等では、吐かない、よく食べる」をしないと治療中断することがあると言われ、頑張る。
放射線で先ず食べ物の味覚が無いのと食べ物が喉を通りにくくなり、インスタントラーメンの味を濃くし、どろっと柔らかくするなど工夫して食べる等、体重維持に努める。顎腫れと手先痺れも副作用でいずれなくなるので我慢する。
唾液が出ないので、当時はまだお茶やお水の自動販売機がなく、登山用プラボトルにお茶を入れ予備と2本を常備し、虫歯対策では歯磨きに努める。しかし平成5年に大人になってから始めて虫歯になり,近くの歯科医院で診てもらったが断られ、専門病院で相談し歯科病院を紹介してもらい、治療してもらう、以後定期的に受診して点検・治療してもらっている。
鼻から胸まで放射線をあてているので、海水浴後の背中のように、背中を日焼け状態の為、外での紫外線除けを日傘でする。「放射線を肩の筋肉にも当てているので重いものを持つと筋肉が切れるよ」と言われ、肩保護の為、重い物を持たないようにする。
 採血や点滴の回数が多くなると、他の患者は段々血管がなくなると言っているので、採血や点滴は腕を交互にして、入浴時にはタオル摩擦するなど血管の保護に努める。これは現在も続けている。

 

☆ 2回目の病気:胃がん+非ホジキンリンパ腫
 春の職場での検診では異常なしであったが、職場の同僚が、同じ異常なしで半年後に胃がんで亡くなったので、小生も胃がおかしいと思い、内視鏡検査をしてもらうと、平成5年12月に胃がんで非ホジキンリンパ腫(B細胞性)とのことで、通院での抗がん剤点滴4回後、平成6年3月1日入院し、説明では胃全摘出と言われていたが、胃の下3分の2切除でBⅡ法(ビルロードⅡ法)結腸後再建の手術後二週間で4月8日退院する。 
 今回も点滴で髪の毛が徐々に抜けて、全て抜けたが、点滴が終わると胡麻塩が黒髪で生えてきた。点滴中は前回同様、吐かない、よく食べることをモットーにする。
仕事の関係で食事回数を増やせない為、徐々に多く食べるようにして元以上に戻る。
 傷口などは、タオルマッサージで出来るだけ動かし、毛細血管の活動を促す。これは現在も続けている。
術後3日目から12階から地階まで往復の運動を毎日することで、体力維持に努める。何日目から歩き始めるかが患者間の競争になっている。

 

☆ 3回目の病気:舌がん
 平成12年5月15日入院し31日に舌がん(扁平上皮がん)で舌右半分取り、頸部郭清、左前腕皮弁による舌再建手術、血管吻合術で13時間かかり、後5週間余りで7月7日退院。
 5日間身体に色々器具が付き、傷口保護のため身体が枕等で固定の為、辛いががまんするしかない。
 話が出来たのでほっとする。喋りにくく、飲み込みしにくいので、言語聴覚士による発音できるよう指導してもらい、大変だがリハビリとチャレンジに努める。
腕が上がらず、リハビリに努める。今回も階段の上下往復運動をする。首を冷やすと痛いので、夜はタオルを巻く。
 口は大きく開けられなく、歯の治療をしてもらいにくくなり、歯ブラシがしにくいと歯科病院で言うと、歯ブラシをブラシの小さい分にして、歯間ブラシはS・Mの使用指導を受ける。

 

☆ 4回目の病:口腔底がん
前回のような症状があるので、申し出て口内炎として薬をもらうが、半年後も変わらないので申出る。平成19年1月10日入院し、17日に口腔底がん(扁平上皮がん)で手術。手術中は口からの呼吸はできないので気管切開術し、下顎正中離断による口腔底がん摘出術(舌左半分取)、左頸部郭清、左足遊離組織による舌再建手術、血管吻合術で11時間かかり、その後2ヶ月半で3月16日退院。
前回同様5日間身体に色々器具が付き、身体が固定の為、辛いががまんするしかない。近頃は短いらしい。
 話が出来たのでほっとする。前回より更に喋りにくく、飲み込みしにくいので、言語聴覚士による発音できるよう指導してもらい、大変だがリハビリとチャレンジに努める。
リハビリに努め、今回も階段の往復運動をしようとするがふらつき、血圧が低く、ドクターストップで止める。退院後腹筋運動の回数を少なく調整する。
気管切開中は、声が出ず、力が入らないが、気管孔を押さえると、声が出て、力が入れられる。
チューブでの経鼻食で下痢気味になり、薬の服用で治まる。
食事になってから、飲み込みが更に難しく大変であったが、顎の傷口から膿が出だし、ひと月の間チューブでの経鼻食に戻る。
食事をするのに、以前と同じくらい食べるには2時間余りかかり、喉に痰が溜まったり、疲れてむせたり、吐いたりするので、1時間半程度に済ますようにし、勤務時の昼食は、マルハニチロ食品の梅がゆ(熱湯1分)に天野実業のおかゆを足し、冷ますため缶詰1缶を入れて食べると45分の昼休み中に終われる。
顎を開き歯並びがずれたので、歯科病院でonetuft(ワンタフト)歯ブラシの使用指導を受ける。
舌は動かないので、痰がよく溜まるようになり、飲み込みしにくい関係で、むせたり、吐いたり、誤嚥するのが多くなる。数回吐いて、むせるのが止まらず救急で診てもらうと、誤嚥性肺炎の診断になる。又、専門病院ではPET検査で肺がんの疑いがかかり半年色々の検査を受け、肺炎の診断となり、治療を受ける。最近は自分での対処が早めに出来、むせたり、吐いたり程度で治まる。

 

☆ 5回目の病気:下顎骨炎
 前回の手術で顎を割り、あと顎を接合したところがおかしいので、平成21年5月29日入院し、6月1日に下顎骨炎のため、顎のプレート除去手術後一週間で8日退院。

 

☆ 6回目の病気:早期胃がん
ハプニング1:平成23年10月31日午前2時家で倒れ、救急病院で検査治療。心房細動を起こし、ジキタリス剤で脈は改善、洞調律は改善せずで、要精密検査とのことで意識が戻ったので帰宅。専門病院消化管内科(当初11月7日早期胃がんの内視鏡的胃粘膜下層切開剥離術予定)受診し、救急病院での紹介状を渡し、専門病院循環器内科を翌日受診。
循環器内科受診で当日即入院(11月1日)となり心電図・心エコー・MRI・アイソトープ各種検査の結果、1)不整脈:発作性心房細動による脳血流の低下、不整脈に伴う一過性脳虚血発作、心室性期外収縮、2)心不全:薬剤性心筋症(アントラサイクリン)、心筋障害(心機能低下に関連)、3)貧血、栄養障害:担癌状態や今までの治療により栄養障害(鉄、ビタミン欠乏性)や脱水なども関連。
ハプニング2:以上により治療したが、治療終了間際に右胸で痛み。38℃の高熱が続き、誤嚥性肺炎になり、それの治療のため、食事中断で点滴のみに。今回は長く罹ったが、消化管内科の予定が12月7日になり、用心の為7日までも食事なしで点滴のままになる。
12月7日午後1時の予定が1時50分にずれ込んで、消化管内科による内視鏡的胃粘膜下層切開剥離術(ESD)を受けた。これが2時間の予定が、4時間かかり、午後6時にドクターから「今2/3取れたところ。前回の胃がんの手術のため、胃が硬くなっており、胃がんの周辺が潰瘍になっていた」とのこと。結果午後8時に終わり(6時間かかり)、早期胃がんが2センチとぐるり3センチを剥離したとのこと。家族はかなり心配したとのこと。本人は術後にお礼や薬のことなどを話したとのことだが、夜中に小便がしたくなり、酸素など管が付いて、そばに便器があり、そこで初めて意識が戻った感じになる。朝には点滴以外は全て取れたので、トイレにいけるようになる。誤嚥用心のため、食事開始が少し遅れるが出来るようになり当初予定の約1週間が、49日目に12月19日退院になる。
心臓負担軽減の為、腕立て伏せは禁止でよく歩く事に、立ち上がりは何かを支えにするようにし、入浴は半身浴ステップに座って腰までつかり、体をタオルで洗うだけにと注意する。
ベッドも心臓負担を減らすため、ベッドの頭の方を30度高くして寝ることにしている。布団の時は座布団を二枚重ねて布団の下に置いて頭を高くできるようにして、心臓が高い位置になるようにしている。
長い間、食事なしで過ごした関係で食事が以前のようにスムーズにできず、慎重になるため所要時間が以前より半時間以上かかり1時間半から2時間余りを要するようになったが、食事を味わえるようになったので我慢が出来た。筋肉が衰えてしまい、お尻や背中の骨が出て、長時間座りやリック背負いが痛くなり、注意する。後は栄養・ビタミン・鉄分を取るよう努める。

 

☆ 7回目の病気:喉頭全摘出術
 口腔底がんの説明のとき、すでに誤嚥性肺炎が続けば手術やと言われていた。平成24年は誤嚥性肺炎での入院が続き、誤嚥性肺炎で命を落とすか、声を落とすかどちらかとのことだったので、声を落としても食事を味わうため、喉頭全摘出術を受けることにする。
12月7日(~12月20)救急病院呼吸器内科で誤嚥性肺炎のため入院。治療終了後専門病院へ手術をしてもらえるように相談してもらい専門病院へ転院出来ることになる。
12月20日専門病院耳鼻咽喉科喉頭全摘出術のため入院。誤嚥防ぐため、中心静脈カテーテル挿入で栄養補給。
平成25年1月4日喉頭全摘出術を受ける。1月7日経鼻管から薬溶いて入れる。1月8日カテーテル点滴入らず、腕の静脈点滴に、1月9日点滴と経鼻管栄養併用に。1月21日点滴だめで経鼻管栄養のみに。2月1日午後咽頭瘻孔閉鎖術で縫合閉鎖を全部できればするが、だめなら残りは次回にとのこと。結果は全部完了する。2月12日抜糸し、2月14日VF検査を受け合格になり、2月18日夕食から食事に。家庭での生活に慣れる為3月1日~2日外泊し、3月8日退院する。
度重なる入院治療で採血・点滴が多かったので血管の状態が悪いためか、カテーテル点滴が駄目になったので、やり直し点滴が多くなり、点滴・採血で医師・看護師にかなり苦労を掛けることになった。
食事で誤嚥をする心配することなく、食事を味わえるが、3ヶ月余りの長い間、食事をしていなかったので、咀嚼などが段取りよく出来ず、箸で咀嚼しやすくするのだが、箸を噛んでしまって歯を欠けさせてしまったり、歯磨きで歯を欠いたりと、色々のトラブルが続いたが、次第に何とか前へ進むようになった。
新たに、1日3回の吸入器による吸入と、時々の痰だしや、エプロンに付いた痰の掃除も日課になる。そのためにティッシュと捨てる袋を常備する必要がある。また声が出ないので、会話用のボードを常備する必要がある。

 

☆ 8回目の病気:食道がん
 胃がん治療後の定期的経過観察で0期の食道がんが見つかり、心臓負担の少ないPDT治療したが、残ったため追加でAPC治療することになる
平成25年10月29日専門病院消化管内科PDT治療(光線力学的療法)のため入院。2日目に光感受性物質フォトフリンを静脈注射して薄暗い部屋での生活が始まる。4日目にPDTのレーザーによる病変照射し発生する活性酸素で腫瘍を破壊する治療をして、テレビや携帯は光が出るので使用不可の個室での暗室生活が続く。昔、白黒写真フイルムの現像をしている状況と同じなので懐かしく思った。10日目に内視鏡で検査・細胞診したが、まだ残っているとのことで、今度はアルゴンガスを吹き出し、そこへ電気の放電をおこし照射する、アルゴンプラズマ療法(APC)による治療して2日後に11月22日退院する。
退院後12月26日に内視鏡検査・細胞診。その結果平成26年1月20日時点ではまだ10%残っているので、再度APC治療を2月17日~2月20日の入院で受ける。
退院後、4月3日に内視鏡検査・細胞診の結果(4月14日)「98%OKである。あとは経過観察で」となる。
ひと月ほど、日光を浴びないようにとの注意を受けたので、注意して過ごしたが、他は以前と同じ生活なので、あまり治療を受けて退院という感じはなかった。

 

☆ 放射線治療による副作用
 平成5年2月23日から現在まで入院中を除き月1回の定期的診察のほか、トラブルの時は週1回ごとに歯科病院で歯の診察・治療を受ける。平成23年ごろからよく歯が取れたので、月1回から多くなってきて、平成26年は毎週診察していただき、歯茎がまだあるので、樹脂で仮歯を作っていただき、綺麗な歯並びにしてもらっている。樹脂なので硬い物は噛めず、柔らかくして食べるなどの工夫が要る。
 思えば、放射線治療の時、奥歯は虫歯治療する可能性あるので、放射線が当たらないようカブセを付けて照射してもらっていたので、現在も樹脂の仮歯にせずに奥歯は残っている。
平成26年11月25日下右奥が取れ翌日昼に気が付くと下の仮歯が全部なくなり、食べたような
ので、先生に話すと仮歯をあきらめて入歯にしてもらう型とりをし、12月1日仮入歯を作ってもらい、はめたり食事したりの練習することになる。仮入歯の状態が良いので、このままで様子をみることになる。

 

☆ 抗がん剤の点滴による副作用
 がんではないが、リンパ腫(中咽頭がん・胃がん)の抗がん剤点滴による副作用の心臓病(目のくらみ)が出たが、それもよくなった。
平成17年2月5日       夕方畑で作業後、ふらつき救急で市民病院受診。点滴治療で帰宅。
平成20年12月22日   夕方職場で目がくらみ救急病院へ、点滴治療、検査OKで帰宅。
平成23年10月31日   夜中倒れて口鼻から出血し、救急病院CT検査結果を紹介状に
平成23年11月1日~12月19日 紹介状で専門病院の循環器内科受診、即入院検査治療。
(途中、誤嚥性肺炎(11月17日~12月9日)、胃がん剥離術(12月9日~12月19日))
平成24年4月23日  救急病院口腔外科待合中に目がくらみ、呼吸器内科検査・点滴治療で帰宅。
平成24年5月15日   昼、近鉄高見ノ里~針中野間で目がくらむがましになり、予定の歯科受診治療を受け帰宅。
平成24年6月16日~7月5日   朝食後目がくらみ救急病院受診、誤嚥性肺炎・血圧低下で入院。血圧低下が止まらずアーチスト錠中止に。
平成25年5月10日~  夜寝苦しく(spo2=90前後)、座ると少し楽になる(spo2=95前後)。なので回転座椅子を購入して様子を見る。
平成25年6月11日~7月16日 急性心不全で循環器内科病棟CCUに入院。レントゲン・心エコーで心臓・肺に水溜り点滴治療。6月26日アイソトープ検査。7月8日カテーテルでの冠動脈造影検査CAGで血管は正常・圧も普通、診断はアドリアマイシンによる薬剤性心筋症(うっ血心不全)。
心エコー検査でEFは6月11日が30。7月12日が44。冠静脈は6月11日が24mm。7月8日が12mm。採血でh-BNPは6月11日が1713.1。7月8日が245.7と正常者正常値の18.4以下よりは悪いが凄く改善する。小生は正常者ほどにはもどらない。


☆ 誤嚥性肺炎
 がんではないが、舌がん・口腔底がんの舌の切除で嚥下が難しい。胃摘出2/3と剥離術で吐きやすくなる。副作用の誤嚥性肺炎に度々なった。
平成20年11月30日      咳止まらず救急病院へ、吸引・点滴で帰宅。
平成20年9月24日 PET検査を受け耳鼻咽喉科が肺癌疑い。
平成21年1月27日、2月2日 呼吸器内科診察し肺炎との診断
平成21年2月3日~3月6日 病院の紹介状で救急病院呼吸器内科受診。誤嚥性肺炎で通院治療。
平成21年9月11日~9月24日  お茶で誤嚥性肺炎になり救急病院入院治療。
平成22年4月16日~4月19日  誤嚥性肺炎で救急病院点滴治療。
平成23年11月17日~12月9日 病院入院中誤嚥性肺炎で点滴治療、内視鏡剥離術まで食事なしの点滴のみ。
平成24年4月4日~4月20日   病院の紹介状で救急病院で誤嚥性肺炎・膿胸・クレブシェラ肺炎の治療で入院ユナシンS点滴で治療。膿胸2回抜く。
平成24年6月16日~7月5日   目くらみ(~18)で救急病院呼吸器内科受診、誤嚥性肺炎と低血圧で入院ゾシン点滴治療、寝て100・座って70と血圧低くアーチスト中止に、終盤2回吐き微熱で肺炎起こした。
平成24年7月12日~7月24日  エンシュワーリッキトを吐き誤嚥性肺炎で救急病院入院点滴治療。腸瘻や、口・呼吸分離の指導を受ける。
平成24年10月29日~11月15日 救急病院呼吸器内科診察日で白血球21.7、CRP2.46と高く、誤嚥性肺炎で入院点滴治療
平成24年11月27日 専門病院耳鼻咽喉科担当医に相談の結果、気管切開の分離手術の為心臓・肺等検査
平成24年12月7日~12月20日 救急病院呼吸器内科で誤嚥性肺炎の入院治療し、治療終了後専門病院へ転院
平成24年12月20日~平成25年3月8日 専門病院耳鼻咽喉科で誤嚥を防ぐため、食べるのと呼吸を別々にする喉頭全摘出術の治療を受ける。
平成26年4月8日~5月9日 専門病院耳鼻咽喉科で治療するも血痰が出る。血痰は肺からなので救急病院呼吸器内科で治療。
平成26年6月10日~6月17日 高熱で救急病院呼吸器内科受診、肺炎通院治療。
平成26年10月28日~11月12日 高熱で救急病院呼吸器内科受診、肺炎球菌肺炎通院治療。
平成26年11月25日~12月8日 高熱で救急病院呼吸器内科受診、モラキセラ肺炎通院治療。
平成26年12月14日 高熱で救急病院救急治療受ける。
平成26年12月15日~12月19日 救急病院呼吸器内科受診。肺はマシだが採血悪く治療。
平成27年1月13日 救急病院呼吸器内科採血X線ともOKで肺炎球菌ワクチン(ニューモバックスNP)接種(5年有効)
平成27年03月06日~03月13日(薬-3月18日)救急病院採血X線痰検査でインフルエンザ菌肺炎(気管支炎・中耳炎)の治療。肺はマシ。
平成25年1月の喉頭全摘出で呼吸は気管孔に独立したので誤嚥は無くなったが、肺炎にはなりやすい。それは誤嚥性肺炎で肺をかなり痛めたのと、元年以前の煙草でも肺を傷めていたためで、これらはもとには戻らない。上手に付き合っていくしかない。

 

☆ 発声指導の教室へ
 がんではないが、喉頭全摘出による電動式人工喉頭(セルボックス)での発声指導の教室へ通う。
もともと舌がんと口腔底がんの手術を受けてからは、舌が全く動かないため、舌の奥を動かさないと発音できないカ行がサ行になるなどで、日常会話には発音できる言葉でする工夫をして話さなければ通じなかった。
平成26年3月8日、3月29日~ 阪喉会の教室へ。初めのひと月は個人指導を受けて、その後全員の人と一緒に受けた。

 

☆☆ 思い返してみれば
 手術などの治療をしてもらうたびに、凄いことをしてもらったのだ、と。先生・看護師・技師・技術や薬の開発研究者などのお陰で、ここまでしてもらったと感謝しております。 また、家族や職場やいろんな人に支えられたから、治療を受け続けられていると、感謝しております。
 初回の治療から20年の長期を職場に務められたのも、皆様と自分の体が頑張ってくれたお陰と感謝しております。
 手術などをしてもらうたびに、何かができなくなり、改めて今まで無意識に出来ていたことへの感激と感謝の気持ちになり、どうすれば、その代わりができるかを考えて工夫するようになる。
 初めの治療の頃は、まだ、がんの説明を受けずに、治療しておられる方がおられたので、患者や家族と治療の会話がしづらい面があったが、今では、がんの説明を受けておられるので、会話がしやすくなり、治療内容も深くでき、話が弾み、励まされたり、励ましたり、参考になることが多くなった。

 

☆☆ 障害年金について
 患者仲間から障害年金は受けなければと、アドバイスを貰い、社会保険事務所などで70才ということで相談すると、
○ 障害者手帳の等級と障害年金の等級は考え方が違い、障害年金の方が有利とのこと。(障害手帳の有無に係らず考える。手帳3級→年金2級、手帳2級→年金1級ほどになる?)
○ 障害の初診日の時の加入年金への手続きになる。年金手帳の時とは無関係である。自分の場合は平成元年の中咽頭がんの日になる。
○ 障害の認定日は初診日から1年6ヶ月後になり、認定日の翌月から受けられ、65才の前日まで請求出来るとのこと。自分の場合は65才を過ぎているし、今受け取る年金は満額なので、障害年金と変わらないので、手続きするだけ無駄であると。
(病歴参考) 
平成元年5月44才 中咽頭がんで抗がん剤・放射線治療  
平成12年5月55才 舌がん手術(右舌)  
平成19年1月61才 口腔底がん手術(左舌)  
平成24年1月4日66才 喉頭全摘手術  
同年1月25日障害者手帳3級2種交付
(参考まで)
障害基礎年金の1級は966,000円+子の加算額(未成年の養育費)。2級は772,800円+子の加算額です。

☆☆ 障害者手帳について
○ 吸入器購入について、市から補助を受ける。
○ 電動式人工喉頭(セルボックス)について、市から補助を受ける。
○ 確定申告で一般障害者控除を受ける。
○ 自動車税の減免を受ける
○ 高速道路の通行料は障害者が運転の時は減免を受けられる。
○ 携帯電話の基本料が減免される。
○ 神社仏閣、公共施設等で、割引を受けるところもある。



 <付表>
入院経過一覧表

番号 年度 
      病名(治療)                        入院日数

1(平成)癌年
  中咽頭悪性リンパ腫(抗がん剤・放射線治療)    60日                                                     
  事前のアイソトープ検査入院                  4日

2 平成6年  
       胃リンパ腫(抗がん剤・開腹手術2/3摘出)      39日        平成12年
     右舌がん(左前腕皮弁・舌再建手術)          54日4 平成19年
    口腔底がん(左舌半分取・左足組織皮弁・舌再建手術)   66日

5 平成21年
  下顎骨炎(顎のプレート除去手術)           11日

6 平成23年
       うっ血性心不全・薬剤性心筋症の治療(119救急車で)

       に続き早期胃がん(ESD)            49日

7 平成24年 
      5回誤嚥性肺炎で入院、11/27喉頭摘出決断。   82日
  5回目治療後、喉頭全摘出手術のため12/20転院し

8 平成25年 
      1/4喉頭全摘出手術、3/8退院          78日

9 平成25年 
      6月肺・心臓水溜まりCCUで治療(心不全・薬剤性心不全)
                                                                                           36日
  10月0期食道がん(PDT治療・APC治療)   25日
10  平成26年 
         2月残り10%の食道がん(APC治療)       4日
                                 
                                                                           合計   508日