舌癌患者(女性)の体験談(6) 2010.11.21

『心の旅路』 ガンを経験することによって知った自分の生き癖 

 

 私は, 人前で話すのは大の苦手で,大変緊張しやすいタチですので,書いてきたものを読ませて頂きます。拙くあまり参考になるような話はできないと思いますが,病気の経緯と今に至るまでの思いなどをお話したいと思います。

 

 今月で舌癌手術をしてから,ちょうど6年5ヶ月が経過します。

その間,舌の痛みが治まらないことや,舌をかむ・出血・のどの圧迫感・頬や耳の後ろの痛みなどが幾度となくあり,その度にひやひやして来ましたが,お陰様で今のところ再発転移なく過ごして来れています。

 舌の異常に気付いたのは,6年前の2月頃で,舌の右側に口内炎のようなプツとしたものができ,痛み始めました。その頃私はひとり暮らしから実家に戻り,家族の問題にしんどい気持ちで直面する日々でした。

其の内に治るだろうと放ったらかしにしていましたら,どんどん痛みが増してきて,それでも痛みをこらえて奔走していました。いよいよ寝ても覚めても痛みが気になり,放っておけなくなり3ヶ月以上経った5月ようやく地元の総合病院口腔外科を受診しました。生検していただいた結果,癌細胞が筋肉まで達している中程度の悪性度,中分化型扁平上皮癌と診断されました。白板症という前癌病変も舌の裏側奥に広がっていました。

 告知を受けた時には,不思議とショックはなく悲しみや憤りの気持ちも沸かず,まるで人ごとのような感覚でした。心の内はいたって静かでした。後から思い返すと,その頃の私は感情にふたが閉まっていた,という事と,その一方心のどこかでは“成るべくして成った。やっぱりなあ・・・”という思いがあった気がします。

 告知されたその日から,さっそく抗癌剤ティーエスワンを服用し始めることになり,そのまま医師に提示された治療の説明を受け,近い日に手術する日が決まりました。私は,自分に起こった目の前の病気にきちんと向き合って適切な情報を集めるというような力が無く,ただ促されるまま検査などに動き,入院しました。

 初期だったため2cm強の切除で済み,移植することはなく,テルダーミスというコラーゲンとシリコンでできている人工材料で創部を保護し,縫い合わされました。コラーゲンは次第に溶けてなくなり,シリコンは後から取りはがされました。入院中,部屋の中で癌患者は私一人という何とも心細い思いで3週間を過ごしました。術前後,特にリハビリ・トレーニングなどのご指導はなく,熱いものや刺激物はさけるようにという注意点をお聞きする程度のものでした。

 自分にできる事は何なのか考えるのですが,なるべく口の中は負担を与えない方がよいのかと勝手に判断をして,どちらかと言うと,しゃべらないよう,動かさないよう,安静にしていました。人と関わることも自然と控えるようになっていきました。しかし,機能回復には早い時期から動かした方が良いということを,だいぶ後になって知りました。無事に退院をしましたが,そこから色々な意味で自分を軌道修正する作業が始まりました。

 入院中はいわば保護されている状態でしたが,一旦治療が終わりそこから出ると,どきっとするような症状が数々あり,生活上の不自由さで苦労するその思いを誰とも共有することができなくて,心もとない日々が続きました。

 私はフリーで手仕事を細々とやっていましやが,調整が可能なため,しばらく体調を見合わせながら回復に沿って,徐々にやっていくようにしました。

 誰にでも起こりうると頭では理解しながらも,癌と言う病気を現実に患って,“死”というものを意識し,命には限りがあるという当たり前のこと,そして親よりも先に死ぬことがあるのだという事を改めて実感しました。

 これからこの病気とどう共存していったらいいのだろうと漠然と考えながら,癌関係の本や雑誌をめくり始めました。そして,舌癌を体験されて,後に東京で患者会を立ち上げられた方の,ある雑誌の記事が目にとまりました。その方は,はじめに最寄の病院で診断を受けた時,沢山舌を切らなくてはならないと告げられ,それを受け入れておられました。ところが,舌をほぼ切らずに治癒が期待できる放射線治療,それを専門とする信頼できる医師と出会われ,入院の直前になって遠方のその病院まで治療を受けに行かれました。少ない時間の中で積極的に情報を集めることをされて,タイミングを逃さずに納得のいく選択をされました。同じ舌癌であったこともあり,その行動に大変心を動かされました。

 その会では,全身の癌を横断的に診ている放射線治療の専門医が協力されていて,希望があれば適切なアドバイスをしてくれるというセカンドオピニオンの斡旋もされていました。私はその会に入会し,相談に乗って頂く中で自分の場合も組織内照射という放射線治療で舌を温存できる選択肢があったということを知りました。これからは,出来る範囲で情報を集め,慎重に選択していきたいと思いました。告知を受けた後は,そういった作業をしていくことに大変なエネルギーが要ります。でも充分に納得をした上で治療に臨めるという事は,あとあととても大切な事だと思いました。

 癌を患っても,元気を出してこの先行こうと自分を叱咤激励するのですが,日常的には口腔内だけではなく,体のあちこちに起こる様々な症状に過敏に反応しては一喜一憂していました。精神的に不安定な状態にもなりました。私の至らなさ故であったとも思われますが,主治医との対話で上手く自分の症状や不安を解消・解決してゆくことができずにもおりました。この先長くこの病気と付き合っていくことになるけれども,このままここで安心できるのだろうかと,自分に問いかける日が続き,遂に私は癌の専門の病院で経過観察をしていただきたい,是非そうしよう!と強く思い至ることになりました。

 転院することはものすごく勇気の要ることでしたし,叉その選択が果たして賢明なのかと随分迷いましたが,“自分の判断を信じよう。後で後悔したくない”という考えが定まると,気持ちがスッキリしました。そして主治医にその旨をお伝えし,こちらの成人病センターに紹介して頂くことになりました。これまでにあっただろうか,と思える程私には大変な行動でしたが,自分の為に自分の気持ちを優先にした初めての体験のように思えて,何ともすがすがしい気分になりました。こちらに転院をして安心を得られました。

 そして,そこから叉新たな課題がフツフツと起こり始めていました。いつ閉じるか分からない残りの人生を前向きに生きたいと考えるのですが,その為には私はそれまでの自分の生活を振り返る事が必要でした。

済んでしまった過去を思い返すという,後ろ向きでネガティブな事のように思えますが,それまで自分らしく満足感をもって生きてきたのであればいいのですが,なにかとても不自由だった,しんどく生きてきた,という事に目をそらすことができなくなっていました。“今までと同じ事をしていたらだめですよ”という警鐘がこの病気だったと捉えられたのです。私にとってはその作業をしないと叉病気をしてしまう,叉しんどい生き癖を繰り返しかねない,そんな思いでした。告知を受けた時,心のどこかで“成るべくして成った。やっぱりなあ・・・”という無意識にすんなりあった思いに焦点が当り始めたのです。

 子供の頃から周りの空気に敏感で,気をつかい,その状況にあらがわず沿うという従順な子だったと思います。自分のことよりも周りにエネルギーを注ぐという主体性のない生き方を大人になってもしてきました。そうやっているうちに自分のことや自分を大切にするということがわからなくなってきたのです。

 私は昔から首から上,頭頸部の病気や症状を数多くしてきました。顔面神経麻痺,難聴や耳鳴り,筋腱膜化形成症という頬の筋肉が硬直して起こる口の開きにくい症状,歯ぎしりや食いしばり,甲状腺腫瘍,そして舌癌です。その背景には,摂食障害や睡眠障害など,精神的に不安定なものもベースにありました。ひとつひとつの原因は特定できませんが,言える事は自分の許容を越えるような状況にあっても,その自分に気付かず無理を押して生活していたということだと思います。その時々の体の悲鳴が病気や症状になって現れていたのだと,今になって分かります。

 ストレスがかかっている事に気付いても,自分の力不足が原因と自分を責めて,サインを無視し,気持ちにふたを閉め,やり過ごしてきたように思います。過去の出来事や生き癖を振り返っていくと,自分の陥っていた姿を目の当たりにして,長年すり込まれてきたものの根深さや縛りに深く落ち込みました。これからよくなっていきたい,その為にしている振り返り作業なのに,叉更なる病気になりそうでしばしば苦しくなり,ウツ状態にもなりました。それでも,もう以前の自分には戻りたくないという思いで,カウンセリングを受けるなどの手も借りながら,這うようによろよろと動き始めました。

 少しずつ少しずつ自分を見つめ直す作業と,自分が元気になれる事を模索していきました。よいヒントが得られそうなセミナーや講座,自分にとって課題と思えるテーマの語り合いグループなど,これ!と思えるものを見つけては,動ける範囲で参加しました。また自分の特徴である過度の緊張や不安を軽くするためには,リラックス体操や効果があると言われるモーツアルトの音楽を聴いてみたり,好きなアロマの香りに包まれたりしています。

 Mさんに紹介していただいた自己催眠の本も大変参考になり,薬をのまないでも穏やかに眠れるようになってきました。あと,友人とハイキングに出掛けたり,日常生活の中では近くの公園を散歩し,五感で味わうことを意識してゆったりした気分で呼吸を整えるようにしています。深く深呼吸をしながら,しんどいものは体から吐き出していって,自分に力をくれるような澄んだ空気はどんどん取り入れていくというイメージを何度も繰り返しては気持ちを落ち着かせています。

 歩きながら舌や頬の筋肉もできるだけ動かすようにしています。自然を味わいながら,呼吸のリズムを確かめ,体も意識して動かす,などというような事は長年して来なかったことでした。この心地良さはとても新鮮でした。とにかく,まず自分の体や心の状態を確かめて,それに合わせてできる事を無理せずに,でもちょっとは背伸びしながらもやっていきました。自分の中だけで思いめぐらしている動かしがたい考えや行動も,すき間を作り,違う空気や学んだ事を入れてやることで少しずつ柔らかくなっていくようです。

 つい従来の癖で感情を上手く開放できず,無意識に押さえ込んだり,溜め込んでしまうことをして,固まってしまいますが,なるべく自分からひとつひとつ手ばなしていく事が大切だと思います。声に出しても体を動かすことでも,紙に書き出すことでもいいのです。歌ったり踊ったり,愚痴を聞いてもらったり,それでもいいのです。そうするとちょっと軽くなり,次にはいいものを取り入れたくなります。どんな小さな事でも自分が喜ぶような気持ちのよいこと,わくわくするようなことを見つけ出しては,試してやっていくことで,体内も浄化されていくようです。心身に良さそうだと身をもって感じられるようになっていきます。行ったり来たり,そうやっていくうちに,だんだんと自分自身の感覚を取り戻し,自分が自分になっていくという感じを味わい始めました。

 それまでの何事にも自信のない自己否定型から,私のままで充分なんだという肯定感が生まれ始め,気持ちも少しずつ楽になっていきました。何年もかかってゆっくりと過去への問いかけから次第に今,そして未来に向けての思考へとシフトしていきました。今も亀の歩みで,その途上です。

 

 このように,私にとってここ数年間は発病をきっかけに,それまでの自分を見直し,心の部分での機能回復,思考や価値観の点検をした地ならしの歩みをしてきた期間でした。

 こちらの患者会に出会えた事を心から有り難いと感じています。

成人病センターに辿り着いたことで会を作られたKさんとの出会いがあり,この会を見守って下さるMさんや,同病で人生の先輩の方々と出会い,共に思いを共有する場が得られました。

 叉,去年は何ヶ月も舌痛と口の周辺トラブルに悩まされ,医師の説明と自分のつらい症状との間で,なかなか折り合うことが出来ず,右往左往しました。従来の非建設的な思考パターンに,またしても陥り,くじけそうでした。同じ時期に母が脳出血で倒れるなども重なり,張り詰めた状況の時,こちらのMさんに大変支えられました。助言を頂く中で色々な選択肢を探るなどして,自分なりに行動することが出来たと思います。動いていく事で納得が得られ,そのことが症状の緩和にもつながり,お陰様で何とか乗り越えてくることができました。

 私達に出来ることは,自分の身に起こるサインに気付いて,その感覚を信じて医師に伝えることだと思います。自分の命を守ることに自律的になりたいと思います。叉,どうしようもない事には,静かな心で受け止める事ができればと願います。この先も色々な直面があると思いますが,できるだけ気負わず,でも集中して,そして楽しくひとつひとつ乗り越えていけたらいいなと思います。

 こうして癌を患ったというご縁で会の皆さんと出会い,毎回体験を聞かせて頂き,とても刺激を受けます。お一人お一人がご苦労を重ねながら,独自のリハビリを工夫し,生活に取り入れておられる,何とか自己コントロールしてプラスの方向に切り替えてこられている,その力強さや可能性をいつも感じます。できる事をひとつひとつ積み重ねていく事が自然治癒力を高めることにつながっているのだと確かめられ,大変勇気づけられます。私のこれからの課題にも,改めて重なる思いです。

 これからも皆さんにお知恵をお借りしながら,交流し支え合っていけたら嬉しいです。どうかよろしくお願い致します。

 

“心の旅路”という感じの,のらりくらりした体験を聞いて下さり,本当に有難うございました。

これで私の発表を終ります。