舌癌(男性)の体験談(9) 2017.1.31

舌がんと闘いながら、社会人として生きる

 

 自己紹介します。I・T42歳です。子供は二人います。長男8歳,長女6歳,結婚して8年になります。一番初めに「がん」と言われた時にショックのあまり子供をつくりまして,その時に生まれたのが長男です。初回のオペが終ったときに,嫁から子供ができたと知らされて結婚したというような家族構成です。

 初回癌だと告知をされた時は初期の舌癌でした。ある日ろれつが回らなくなり歯医者に行って調べてもらっても良くならず,たまたま自分で人差し指を口の中に入れたらちょっとしこりがあり,インターネットで調べたら,ちょうど舌癌の症状と全く同じだったので,すぐに会社の近くのOS病院の耳鼻科に行きました。

 あっさりと「舌癌です」と告知されて,「初期なので簡単なオペで終わりますよ」と言う事でしたが,やはりショックでした。早期発見はインターネットで調べると,80%治るとあったので少しは安心しながらオペをしました。部分切除だったのでオペも早く終わって入院も2週間ぐらいで退院しました。1ヶ月もしたら体もほぼ元通りに戻って,がんですよと告知をされた時のショックや色々な事を考えた事も忘れてしまっていました。2ヶ月もしたら,あっという間に元の生活に戻ってお酒,タバコ,夜更かし,暴飲暴食,が始まっていきました。また検査も頻繁にやっていたので,まあ大丈夫だろうと油断ではないのですが,自分の中では余裕だなと。がんは今は治る時代だし,死なないだろうなと普段も元気でやっていたので再発するなんて夢にも思っていなくて,無謀な生活を送っていました。

 丁度4年目に入り,病院の担当医も頻繁に変わるので病院に対する不信もあり,また家からも離れていたので変わろうかなと思っていた矢先に,PET検査を受けて検査結果を聞きに行くと,また担当医が変わっており,担当医も初めて画像を見て思わず「再発ですか?」と画面につぶやく(PET診断:再発していると記載してあり)。その後生検し,1週間後生検の検査結果を聞きに行くと,「生検でうまく取れなかったので再度取らせてください」とのことで,あまりにも不手際が多いので,当方もブチ切れて,担当医に「もし再発してもこの病院では治療はしたくない,家から通える有名な病院を紹介してほしい」と申し入れた。担当医よりその場でK大学病院の紹介状と診察予約を入れてもらった。

 ニュース等で病院の不手際は色々聞いてはいたが,自分自身が体験する事に驚きました。この時点で病院に対して初めて不信感が生まれました。これが自分で病院に対して意思表示をしたのが,初めてで,こういう事を言わないと言われるままに治療を続けていたのかなと。これが自分にとってはいいきっかけになったのかと思います。

 K大学病院を紹介してもらって,この病院で治療を受けることにしました。後日談ですがOS病院では耳鼻科だったのですが,最初のカルテでは部分切除ですが,「細胞診も残存がある可能性がある」と出ていましたので,再発するべくして再発したのかなと。振り返って考えると,担当医も「再発したらオペになるよ」と言われたようなことを思い出しました。

 再発初診のステージはⅣでした。リンパ節転移があったとの所見,オペの内容は亜全摘手術で頸部リンパ節郭清。

 亜全摘手術とは,舌の半分以上を切除することになるので,教授より「通常の日常会話が難しくなります。仕事が営業なら出来なくなると思いますから,内勤部署とかありますか?」と軽い感じで言われました。ただその時は何となくそうなるのかぁ程度の理解であった。入院は一か月後に決まる。入院するまでの間にネットを通じて,術後どうなるのかはある程度想像できたが,やはり想像を絶するものがありました。

 オペ日の前日に入院するのですが,入院当日に教授回診があり頭頸部の術後の患者が集まってきて,その姿をみると顔がパンパンに張っていて少し怖くなり,その夜は恐怖で眠れませんでした。当日オペは15時間,ICUは3日間入りました。

 眠れない,喋れない,動けない等のストレスで一週間経つと気持ちのコントロールが出来なくなってくるのです。精神的・情緒的に不安定になってきているのを覚えています。今あの時の一週間を体験するとなったら,絶対にやらないと思います。究極の選択を迫られても多分やりたくないほどしんどい思いをしました。この時に再発をして「がん」と言う病気の怖さや,自分の体に通常あるものが無くなってしまった時に,自分自身の考え方が大分変っていったのが,今でも鮮明に覚えています。

 オペ後一か月経った段階で大分落ち着いてきて,オペの時にとった細胞診の結果が2~3週間後に出るのですが,結果では「残存がまだある」と出まして,大変ショックでした。ただ残存がどこにあるのか病院側もわからないということで,可能性のあると思われる場所をもう一度部分切除して,さらに放射線70Gと抗がん剤3クールの治療が追加となりました。

 やはり副作用が出てきて,まず放射線を行うにあたって,虫歯やこれから虫歯になる可能性のある歯は抜くこととなり,抜いたのですが,抜いた場所に放射線をあてるので骨髄炎を併発しました。口腔外科では「自然治癒でないと治すことができない」と言われて,耳鼻科の主治医に相談すると高酸素治療を薦められた。(高酸素治療とはアスリートが利用している酸素カプセルの何倍も強い酸素を身体の中に取り入れて細胞の活性をあげて治療する方法がある)。やってみる価値はあるのではと思いトライしました。すると3回目ぐらいで壊死した顎の骨がボンと外れて小指ぐらいの骨が突然とれて穴がふさがり治りました。

 抗がん剤と放射線の治療によって体重が80Kg近くあったのが50Kgぐらいまで落ちてフラフラになりました。

 手術と放射線の影響か開口障害で口が指1本ぐらいしか開かない,リンパ液の流れが悪い為顎がむくんだり硬くなったりしました。その当時は全然会話も出来る状態ではなかったが,少しでも早く喋りたい思いがあったので,発声のリハビリをしてくれるところへも行きました。しかし今はリンパのむくんだ部分を治さないと発声のリハビリをしても無駄だと言われた為,並行して約1年間リハビリをST(言語聴覚士)さんの指が筋肉痛になるほどリンパマッサージをしてもらいました。おかげ様で大分顎が開くようになって,発音する内容も大分変わっていきました。

 退院から半年ほど経つと,徐々に社会復帰,会社に戻らなければという思いが強くなり,徐々に会社に出る様にしました。やはりそこには厳しい現実が待っていました。会話能力や対人とのコミュニケーションが出来るレベルではありませんでした。自分が伝えたいことが上手に伝えられなかったし,もっとうまく喋れないと社会復帰はできないと感じました。

 その後自分なりに調べた時に,行き着いたのがこの患者会のホームページでした。同病の人たちが実際退院した後にどのような生活をしているのか興味があったし,どのような形で現実を乗り越えているのかというところを聞いてみたいと思い,Mさん宛に相談メールを送ったら,病状や状態など詳しい内容は一切伝えていないのに,Mさんからピンポイントで「あなたの症状はこうでしょう」と返ってきて,発声や発音に関する資料をメールで送ってもらいました。

 それはまさに自分が知りたいポイントや自分が不安に思っている内容であったので,一度参加してみようと思ったのが,患者会とのきっかけでした。

 さらに参加した時にMさんからPAP(舌接触補助床)を教えていただきました。早々にO大学歯学部顎口腔機能治療部へ行きましたが,発音が悪かったせいか案内されたのは咀嚼補綴科(そしゃくほてつか)で,現実問題である意思疎通がとれないという事を痛感しました。

 結果はPAP(舌接触補助床)を作成し,幾度か修正を繰り返し,今の自分の会話レベルに落ち着くまで約1年かかりました。PAPのお蔭で他人とのコミュニケーション能力もだいぶ向上し,電話での営業も可能になりました。自分自身のQOL(生活の質)も向上し,社会に出てもやっていけるかなと自信にも繋がり,Mさんや患者会の存在にとても感謝しています。

 会社復帰をするのですが,現実は組織として従来通りの能力を求められるし,周囲の自分に対する気遣いなどが苦しくなって,この状態で続けて行く事は無理と思い,会社復帰後半年で退職しました。退院後,病院・家族・知り合い・会社仲間で自分の状況を知る環境内でのコミュニケーションの領域で問題はありませんでした。

 しかし退職後は今までの環境から変わるため,それなりに厳しい現実を想像していたが,やはり想像していた以上に厳しい現実でした。まず,どこに行っても「障害者ですか?」水を飲むのに詰まったり,食事中もこぼしたりすると「大丈夫ですか?」「何を言っているのかわかりません,ろうあ(難聴者)の人ですか?」等々同情やあわれみやらで自分が健常者なのか障害者なのか分からなくなりました。

 現在,日本の社会では,いまだに障害者=弱者という見方もされるし,差別というのが絶対あると思うし,自分自身もそれを感じました。しかし退職という決断をした以上家庭もあるし,立ち止まる訳にはいかないので,あえて気合と根性で社会とのコミュニケーションをとるように頑張っています。

 最後に,この患者会に参加して,自分一人で超えることが出来なかった沢山の問題を超えることが出来たと思います。やはり同病者からのアドヴァイスは病院の先生よりも参考になる事もあるし,自分自身の活力にもなりました。ぶっちゃけますが,Mさんを見て,このおじいちゃん自分より厳しい状態じゃん!俺,もっと頑張ろうって思いました。

 また,自分自身が行動しなければ何も変わらないでも,最初の一歩がとても怖い。現実から逃避する事や引きこもる人の気持ちも十分に理解できます。リハビリを諦める人の気持ちも理解できます。絶望感になる人の気持ちも理解できます,自分もそうでしたから。

 Mさんが私にしてくれたように,この会を通して不安な人の背中を自分の出来る範囲で押してあげればと思います。

 ご清聴ありがとうございました。